対談:忠孝酒造 代表取締役社長 大城勤 × 三和酒類 顧問 下田雅彦【前編】
これまでつくり手の立場から、本格焼酎の歴史的な変遷と製造方法を語ってきた三和酒類の下田雅彦(しもだ・まさひこ)が、ひとりの「本格焼酎研究家」として、本格焼酎の兄貴分的な存在と考える泡盛(あわもり)の故郷・沖縄を訪問。旧知の仲であり、泡盛業界を牽引する忠孝(ちゅうこう)酒造の大城勤(おおしろ・つとむ)社長を訪ねて、本格焼酎と泡盛のユニークな関係とその未来像をひもときます。
文:井上健二 / 写真:三井公一
●泡盛業界のトップランナー
日本酒、本格焼酎と並び「國酒(こくしゅ)」と呼ばれる、沖縄伝統の蒸留酒・泡盛。麹菌を使った日本の「伝統的酒造り」としてユネスコ無形文化遺産にも登録されています。忠孝酒造は、沖縄本島南部に位置する豊見城(とみぐすく)市で1949(昭和24)年に創業した泡盛蔵で、「泡盛文化の継承と創造」を基本理念として、伝統的な泡盛づくりの深化とその新たな可能性を追求しています。忠孝酒造の製品は近年、「IWSC(インターナショナル・ワイン&スピリッツ・コンペティション)」や「ISC(インターナショナル・スピリッツ・チャレンジ)」といった世界的な品評会において複数のアワードを受賞するなど、国内外で評価を高めています。
その敏腕リーダーであり、評価の高いつくり手の1人でもある大城勤社長の元を訪ねたDr.下田。共に酒づくりの研究やその普及に情熱を注いできた2人は、縦横無尽に闊達な対話を展開しました。
対談場所は、沖縄県内では首里城に次ぐスケールを誇る木造建築である同社の「木造古酒蔵(もくぞうくぅーすぐら)」です。
下田雅彦(以下、下田) この蔵はいつ来ても、いい香りがしますね。
大城勤(以下、大城) 木の香りと、泡盛の古酒(くーす)*1が醸す熟成香が入り混じっています。*1 古酒(くーす):3年以上熟成させた泡盛。
下田 大城さんとはもう40年以上の付き合いになります。
大城 同時期に東京の滝野川にあった国税庁醸造試験所(現・独立行政法人酒類総合研究所)に入り、隣の席で試験管を振っていたのが最初の出会い。それから数年に1回くらいのペースでお会いしていますね。
下田 醸造試験所時代は、大城さんは同学年で気さくな人柄だから、すぐに打ち解けました。
大城 私は忠孝酒造の3代目として生まれ、将来家業を継ぐために東京農業大学で学び、その後、醸造試験所で西谷尚道(にしや・たかみち)先生の下で焼酎と泡盛の研究をしていました。
忠孝酒造 代表取締役社長 大城勤さん
下田 西谷先生は、冷却ろ過で本格焼酎の油臭の問題を解決した、焼酎の神様のような存在ですね。後に醸造試験所の所長になられた。私は大学を出て最初に勤めた日本酒メーカーから出向し、酵母の遺伝子の研究に従事していました。私は半年ほどしか在籍できませんでしたが、大城さんは1年でしたか。
大城 西谷先生には「あと1年残りなさい」と諭されたのですが、同時期にこちらで新しい工場が完成し、2代目の父・繁(しげる、前社長・現会長)から「早く帰ってきなさい」と請われて、1980(昭和55)年に沖縄へ戻りました。その年に組織変更を行い、現在の忠孝酒造という名前になりました。父は工場の近代化に積極的で、前年には泡盛メーカーでいち早く「円盤」*2も導入しています。*2 円盤:「円盤製麹機」のこと。円盤状の設備内の蒸米・蒸麦に種麹をつけて麹菌を生やし、攪拌(かくはん)して温度も管理して、自動で麹をつくることができる。
下田 それは本格焼酎業界の我々から見ても早いですね。初代が創業したのはいつ頃ですか。
大城 うちは那覇市の南隣の豊見城市にあります。第二次世界大戦が終わって4年後の1949(昭和24)年、当時の豊見城村と民間の第三セクターのような形で、祖父たちが「豊見城酒造工場」を創業しました。その三セクが経営難で潰れてしまい、祖父が事業を引き継ぐ運びとなりました。当初は泡盛以外にも養豚をしたり、サトウキビを育てたりしていました。
下田 養豚ですか。
大城 泡盛をつくると酒粕が出るでしょ。そこに周辺の農家から集めた野菜クズなどを入れて煮込むと、栄養価の高い良質な餌になるのです。祖父はアイデアマンであり、パイオニア(開拓者)でもあり、沖縄に初めてランドレース種という豚を導入して広めた人物でもあります。
下田 大城さんが新しい分野に挑戦するパイオニアなのも血筋かな。
大城 それは言えるかもしれない。私の父である2代目も自ら陶芸に打ち込み、陣頭指揮を取って泡盛を熟成する甕(かめ)を自社でつくり始めましたから。釉薬(ゆうやく)を使わずに、焼き締めのみで甕をつくるため、土づくりから始め、1000℃以上で一気に焼き上げる大型ガス窯まで自社で設計しました。
三和酒類 顧問 下田雅彦
下田 泡盛の甕は、もともと15〜16世紀に東南アジアから伝来した南蛮甕が起源。泡盛メーカーが自社で熟成用の甕をつくったのは史上初めてでしょ。泡盛だけじゃなく、日本を含めて世界を見渡しても、酒造メーカーが熟成用の容器を自社でつくっているのは、相当珍しいことだと思います。
大城 そうだと思います。養豚事業の売上の方が大きかった時期もあったそうですが、祖父が養豚など他の事業をやめる決断を下して、泡盛づくりに注力しました。その際、祖父の名前である忠孝から、忠孝酒造と名付けたのです。
下田 忠孝というのは、君主や国家に尽くす「忠義」と、親に尽くす「孝行」を合わせた言葉ですね。
大城 祖父は第二次世界大戦時、海軍の二等兵として従軍していましたが、このありがたい名前のおかげで上官や先輩から一度も暴力を受けなかったそうです。
下田 初代にとって、新しい会社にふさわしい縁起のよい名前だったのでしょうね。
対談を行った「木造古酒蔵」。巨大なステンレスの貯蔵タンクと無数の貯蔵甕が並ぶ。沖縄最大級の木造建築で、台風時の振動や潮風による塩分に対応した特別な設計が施されている


下田 この連載で私は、本格焼酎に起こった数々の進化や変遷を語ってきました。泡盛にとっての進化や変遷でいちばん大きかった出来事は何でしょうか。
大城 泡盛づくりは、非常にシンプル。原料の米に黒麹菌を付け、その全量を麹にして他に何も加えない全麹づくりでもろみ*3を1回仕込み、単式蒸留で1回蒸留するだけ。シンプル過ぎるので製造技術においては、本格焼酎のような大きな進化や変遷はほとんどありません。ただ泡盛の歴史を語るうえで忘れてならないのは、戦後、マイナスからのスタートだったという点です。*3 もろみ:醸造用のタンクに、麹、水、酵母などを入れて仕込み、その後発酵している状態。
下田 1945(昭和20)年の終戦から、1972(昭和47)年に本土へ復帰するまで、26年間はアメリカの統治下でした。その間、大変な苦労をされたのですね。
大城 この26年間は、泡盛の冬の、冬の、冬の時代でした。なぜなら、蒸留酒に対する酒税が本土よりも非常に低く抑えられていたため、アメリカ経由で安いウイスキーなどの蒸留酒が大量に輸入されて、沖縄県民は安価に世界中の銘酒が楽しめたからです。
下田 そのあおりで沖縄県民が泡盛を飲まなくなったのですね。
大城 そもそも沖縄の飲酒文化は、仕事を終えてお風呂に入って食事を済ませてから、外に出かけてスナックでお酒を楽しむのが一般的でした。
下田 本格焼酎は日本酒と同じように食事と共に楽しむ食中酒ですが、アルコール度数が高く、熟成させて食後酒としていただく泡盛の楽しみ方はウイスキーに近いですね。
大城 当時の沖縄のスナック店内の棚には、本土では東京・銀座のクラブでしか飲めないような高級なスコッチウイスキーやバーボンやブランデーなどがずらりと並び、泡盛はカウンターの下にひっそりと置かれているような有様だったそうです。泡盛を飲むのは恥ずかしいから、好きな人はウイスキーの空ボトルに詰め替えて飲んでいたという話も聞きます。その間、本土では国税庁の鑑定官が各地の酒蔵に出向いて、腰を据えて技術指導をしてくれたと聞きましたが、泡盛にはそれもないから進化しようがない。歯を喰いしばり、冬の時代をなんとか生き残ったというのが実情でした。
下田 それがマイナスからのスタートという意味ですか。プラスに転じるのはいつ頃ですか。
大城 本土に復帰して税制が変わり、ウイスキーなど輸入ものの蒸留酒の価格が上がりました。さらに、忠孝酒造ができた1980(昭和55)年前後から、食事もしっかりいただける居酒屋のような業態が増えてきた。そうした居酒屋で、沖縄の食文化に合う泡盛が徐々に飲まれるようになり、ようやくマイナスからゼロになった感じでしょうか。
下田 これからはゼロをどんどんプラスにしていくだけですね。
大城 同じ「國酒」と言われる蒸留酒でも、泡盛と本格焼酎では市場規模がまったく違う。泡盛の国内市場規模は本格焼酎の10分の1以下です。しかも、泡盛のおよそ80%は沖縄県内で消費されている。本土との経済格差を踏まえた酒税の軽減税率は今のところ追い風ですが、本土では適用されないため、苦戦を強いられています。沖縄県内でも2032年に向けて軽減税率は段階的に廃止されるため、楽観できません。
下田 見方を変えると、それだけ伸び代があるということ。本格焼酎とも、ウイスキーやブランデーなどの欧米の蒸留酒とも違う、泡盛のユニークな魅力を発信していけば、市場規模が今の10倍になっても何の不思議もない。その先頭に立って旗を振れる人は、大城さんしかいないと思います。
下田 私は、泡盛は本格焼酎の「兄貴分」だと勝手に思っています。沖縄と南九州との交流があったからこそ、本格焼酎づくりに欠かせない黒麹菌を手に入れることができたからです。
大城 黒麹菌は沖縄オリジナル。沖縄の気候風土が育み、それが本土へ伝わりました。
下田 蒸留酒自体は、どこから沖縄に伝わったと考えていますか。
大城 僕は中国経由だと思う。琉球王朝は、15世紀から中国の王朝に冊封使(さくほうし)*4を送っていましたから、さまざまな文化や技術が入りやすかった。その1つが蒸留技術であり、蒸留器だと思います。*4 冊封使:中国皇帝が琉球国王を任命(冊封)するために派遣した使節。
下田 大城さんは泡盛の歴史も深く研究されているから、異論を唱えるのははばかられるのですが、僕はシャム(現在のタイ)から海路で伝わったかの地の蒸留酒「ラオ・ロン」が泡盛の原型だと思っています。
大城 沖縄は古くから東南アジア貿易の中心的な経由地であり、沖縄人は海洋民族でもあった。中国だけではなく海路でシャムとも交易していたので、その説も一理ありますね。
下田 本格焼酎のベースには日本酒づくりの伝統があり、そこへ沖縄から伝わった蒸留技術が融合して本格焼酎の雛形が生まれた。両者が交流しながら、沖縄では、土着の黒麹菌とシャム経由の蒸留技術と蒸留器、南蛮甕から生まれた泡盛へと進化を遂げ、一方、南九州では本格焼酎としての蒸留酒文化が定着していったというストーリーはどうでしょうか。
大城 そういうことにしましょうか(笑)。おっしゃるように、泡盛は本土の酒づくりの影響も受けています。その際たるものが「バラ麹*5」づくり。中国でもシャムでも、蒸留酒には塊状の餅麹(もちこうじ)を用いますが、泡盛は日本酒や本格焼酎と同じくバラ麹づくり。蒸した米粒と麹菌をバラバラの粒状にして効率的に発酵させます。いまから30年ほど前、蒸留器とバラ麹のルーツを求めて、東京農業大学の小泉武夫(こいずみ・たけお)先生のお供をして、アジア各地を訪ね歩いたことがあります。害虫避けに蚊取り線香を腰から2つぶら下げて、ラオスや中国・福建省の山奥まで分け入りました。*5 バラ麹:塊状の餅麹に対し、米粒や麦粒一つ一つに麹菌を生やしたもの。
下田 すごい行動力ですね。ルーツは見つかりましたか。
大城 ラオスを貫くメコン川の沿岸では、現地の人々が川の水を蒸留して飲み水にするため、蒸留器を日常使いしている光景を目の当たりにしました。ラオスは中国とタイに接していますから、改めて考えるとタイ経由で蒸留器が渡来したという下田説は有力かもしれない。でも、どこを訪ねても、バラ麹で酒づくりをしているところはなかった。バラ麹を用いた日本酒や本格焼酎の製造技術は日本オリジナルであり、それが本土から沖縄へ伝わり、泡盛づくりにひと役買っているのです。
下田 弟分が兄貴分にも貢献できていたのですね。安心しました。私は個人的に、これからもずっと本格焼酎と泡盛は仲の良い兄弟関係であってほしいと思っています。
大城 なぜですか。
下田 私はこれまで、大城さんとの交流からたくさんのヒントを頂戴しました。「いいちこ」で全麹仕込みを始めたのも、長期熟成をスタートさせたのも、大城さんの泡盛づくりに強い影響を受けています。それが可能だったのは、本格焼酎と泡盛が同じ蒸留酒でありつつ、よって立つ土俵が異なっているからです。
大城 そうかもしれない。下田さんとは隠し立てなく何でも話せますが、同じ泡盛業界内でライバルのつくり手たちにはそうはいかない。近いようで違うから、悩みでも何でも素直に話せるのでしょう。
下田 本格焼酎業界でも、芋焼酎や米焼酎のつくり手とはフランクに語り合えますが、「いいちこ」と同じ麦焼酎のつくり手とはストレートに交流しづらい面があります。今後も本格焼酎と泡盛は互いに刺激し合いながら、進化していくべきです。そういえば私はこの10年くらい、毎年のように忠孝さんを訪れていますが、大城さんは一度も大分にいらっしゃったことがないですね。「来てくれ」といつも言っているのに、学ぶことがないと思われているのかと心配になります。
大城 まさか! 若い頃、三和酒類さんに一度伺いましたよ。
下田 えーっ。全然記憶にない。
大城 裏口から工場に入れてもらって見学した覚えがある。いろいろ教えてもらいました。
下田 その頃は私がまだ駆け出しだったから、肩身が狭くて表口から堂々とご案内できなかったのかな。大変失礼しました。次回連絡を頂戴したら、私が表口からご案内させていただきます(笑)。
(後編へ続く)
PROFILE
大城 勤(おおしろ・つとむ)
忠孝酒造株式会社 代表取締役社長
1956(昭和31)年生まれ、沖縄県豊見城市出身。東京農業大学醸造学科卒業後、国税庁醸造試験所で甕の熟成メカニズムを研究。1991(平成3)年、忠孝酒造の代表取締役に就任。2006(平成18)年、戦後消失した古来泡盛の製法「シー汁浸漬法」の復活に尽力。研究者の熱田和史(現・工場長)と共に、沖縄県で初めてとなる日本醸造協会技術賞受賞。2019(令和元)年には、これまでの泡盛業界に対する貢献が認められて黄綬褒章を受章。2024(令和6)年、泡盛鑑評会にて「泡盛ブレンダー・オブ・ザ・イヤー2024」を受章。現在、沖縄県酒造協同組合理事長。
PROFILE
下田雅彦(しもだ・まさひこ)
三和酒類株式会社 顧問 工学博士
1955(昭和30)年生まれ、大分県豊後大野市出身。大阪大学工学部醗酵工学科卒業後、兵庫県の日本酒メーカーに勤務。1984(昭和59)年にUターンで三和酒類に入社。専門技術者として焼酎製造技術開発、商品開発、品質管理に従事しながら、1998(平成10)年に大阪大学工学博士号取得。1999(平成11)年に取締役に就任後、2017(平成29)年、オーナー家以外から初の社長に就任。2023(令和5)年、取締役会長、2025(令和7)年10月より顧問を務める。