
三和酒類で技術者、経営者として本格焼酎づくりに携わってきた「焼酎博士」こと下田雅彦(しもだ・まさひこ)の語り下ろしによる本連載。微生物の働きで原料を発酵させる工程を終え、今回からは人が主役の工程に入ります。本格焼酎を甲類焼酎や他の蒸留酒(スピリッツ)と肩を並べる存在へと押し上げた、1970年代の技術革新のうち「冷却ろ過」を紹介します。第4回「『蒸留』『冷却ろ過』前編~『清酒ブランデー』の発想から生まれた『減圧蒸留』」第3回「『二酛、三つくり』後編~本格焼酎の多様性の源泉」語り:下田雅彦(三和酒類 顧問) / 構成:井上健二
(作:下田雅彦)
本格焼酎製造の前半部分で、日本の「伝統的酒造り」の特徴である並行複発酵は、他の発酵形式よりも高いアルコール濃度17~20%の生成が可能であることを説明しました。このことは本格焼酎と、西洋の蒸留酒であるブランデー(単発酵)、ウイスキー(単行複発酵)との品質の違いと密接に関係します。前回お話しした減圧蒸留機の成果はその一例ですが、1960年代半ば以降、国税庁醸造試験所(現・独立行政法人酒類総合研究所)と南九州を管轄する熊本国税局鑑定官室を中心に、本格焼酎の特性に関する科学的アプローチが進展していました。
取り組みの中で特に印象深いのが、本格焼酎ブームのきっかけとなった菅間誠之助(すがま・せいのすけ)先生の著書「見なおされる第三の酒――“本格焼酎”の徹底的研究」 (朝日ソノラマ、1975年)の出版と、西谷尚道(にしや・たかみち)先生の「油臭」に関する研究成果(1975~1978年)です。2人は国税庁醸造試験所で共同研究者として本格焼酎の研究を精力的に行う傍ら、本格焼酎の認知向上や製造現場の技術指導に幅広く貢献しました。
ステップ7の「冷却ろ過」の項では、「油臭の解明」について少し詳しく説明します。この成果は単に「冷却ろ過」が普及したというだけではありません。貯蔵・熟成から製品設計まで蒸留以降の工程に最も大きな影響を与え、本格焼酎・泡盛の価値向上という大きな変革をもたらしました。
(作:下田雅彦)
本格焼酎の原酒には、香り、味とも好ましいものと好ましくないものが混在し、しかも量の過多によって好ましさが変わる複雑な香味を有します。中でも、貯蔵中や出荷した製品に発生する「油臭」は、不快な欠点臭として麦や芋など本格焼酎の種類を問わず最大の課題となっていました。西谷らは、その主な原因物質が原酒に含まれる「リノール酸エチル」であることを明らかにしました。
油性成分とも呼ばれるリノール酸エチルは、穏やかな無味に近い香味で微量含まれると本格焼酎にコクやまろやかさをもたらす一方、溶けずに固体の状態で原酒の表面に現れて空気に触れると、酸化分解を受けて油臭物質を生成します。この酸化分解した油臭物質は溶解度がリノール酸エチルの数千倍も大きいため、一旦焼酎に発現すると再蒸留しても、ろ過しても容易には取り除くことができません。また、酸化分解反応は温度が高いほど進み、日光の紫外線によっても促進されるのです。
リノール酸エチルは、酸化分解すると油臭物質として発現し、原酒に残ってしまう
ここで、油臭の発生メカニズムを見てみましょう。西谷らは、油臭の強い原酒には高級脂肪酸類と未知成分eが多いこと、一方で、それらの原酒には高級脂肪酸類の1つであるリノール酸エチルが相対的に少ないことに着目しました。研究の結果、リノール酸エチルが3箇所(下の図の①②③)で酸化分解してeおよびX1・X2・X3が生成されることを証明したのです。最終的に、それぞれの化合物を決定し、においの特性から油臭発生のメカニズムを解明しました。そのうえで、本格焼酎に油臭をつけないための対策として次の4つを提示しました。
1.ろ過などにより焼酎中の油性物質を十分に取り除く
2.貯蔵アルコール度数を高くする
3.貯蔵温度を低く保つ
4.瓶詰め後、直射日光に当たらないようにする
本格焼酎の貯蔵過程に出現する油臭(西谷尚道、菅間誠之助「日本醸造協會雜誌/73巻(1978)11号」p.846「本格焼酎の貯蔵過程に発現する油臭について(1)」を参考に作表)
それまで、芋焼酎では原酒中に浮いた油をすくい取る「すくい取り」が行われていました。浮いた油を布ですくい取る操作を貯蔵中に数回~数十回、まめに手入れをし、冬場に気温が下がると、また油が浮いてくるのを丁寧に取り続けることで、油臭をある程度防いでいたのです。冷却ろ過と同様の原理によるリノール酸エチルの除去を、油臭の解明以前から経験的に行っていたわけです。しかし、少し濁った焼酎のほうが滑らかで味があり美味しいと考えられていたことから、出荷した商品の中には日数の経過によって油臭が発生するものも多かったようです。
蒸留後の原酒に含まれるリノール酸エチルは、アルコール度数と温度に応じて溶解度が異なり、常温でも原酒の上部に油として浮いてきます。リノール酸エチルの溶解特性の詳細な研究により、最終的には製造現場で活用しやすいように原酒のアルコール度数と品温から、溶解するリノール酸エチルの濃度を簡単に求める関係図が提示されました。
下に示した図より、リノール酸エチル濃度5ppm(a点)にするためには、焼酎のアルコール濃度が40%(b点)の場合で温度は14.2℃(c点)になることが分かります。これにより、原酒中に残る、あるいは残すべきリノール酸エチル濃度を推定したうえで原酒を冷却ろ過し、リノール酸エチルを適度に「分離・除去」することで、本格焼酎の本来の香味を損なうことなく油臭対策ができるようになりました。
ろ過による油性成分の除去管理図
5000年ほど前のメソポタミア文明の遺跡から出土した土器は世界最古の蒸留器とされ、3200年前の記録には蒸留器を用いた香水の製造法が残っています。蒸留はさまざまな成分を気化させ、沸点の違いにより「分離・濃縮」する技術ですが、蒸留酒の歴史はまさに蒸留器の歴史と言えます。ここでは蒸留機と蒸留技術の歴史をキーワード「分離・濃縮」の視点から見てみましょう。
古代ギリシャの哲学者アリストテレス(紀元前384~322年)は、四元素(火・水・空気・土)と四性質(乾・湿・熱・冷)が組み合わさり、あらゆる物質は自在に姿を変えていくと考えていました。この推察を証明するため、彼は海水の蒸留を記録に残しています。2000年以上前に蒸留の機能を「分離・濃縮」と今でも通じる科学的な視点で捉えていたことに驚きを禁じ得ません。
アリストテレスらの物質観は古代エジプトを経てイスラム世界へ伝わり、錬金術の土台となります。錬金術は、金属から金などの貴金属を精錬しようとする試み。のちには「不老不死の薬」を見つける試みなども盛んに行われるようになり、メソポタミア文明で育てられた蒸留器「アランビック」は、やがて高度な「分離・濃縮」技術へと昇華されていったのです。
三和酒類 安心院葡萄酒工房に設置されているブランデー用の蒸留機(写真:三井公一)
アリストテレスの予言を実現して、初めてワインを蒸留してブランデーがつくられたのは13世紀になってから。蒸留酒は「アクア・ヴィテー(生命の水)」*として万能薬扱いされる時代を経て、嗜好品としても飲まれるようになり、17世紀にはフランスでブランデー、イギリスでウイスキーがつくられるようになります。蒸留技術は、洗練された蒸留酒の製造とともに後の連続式蒸留機による純粋アルコール(酒精)の製造、利用へと発展しました。* アクア・ヴィテー(生命の水):15世紀のフランスの古文書にワインを蒸留した「ayga ardenterius(生命の水)」を薬として売る人の記載が見られる。スコットランドでは、大麦が原料でウイスキーの原型とされる「uisge-beatha(生命の水)」の記録が残る。いずれもラテン語で「生命の水」を意味する「aqua vitea(アクア・ヴィテー)」が語源と考えられている。
一方、蒸留器「アランビック」は、メソポタミアから東ルートで東洋(中国、インド、東南アジア)にも伝わりました。アジア各地に伝わる独自の蒸留器は、原型として共通するのが、米や穀類を蒸すのに使っていた「甑(こしき)」。日々の食生活で用いる台所の道具を延長したものでした。
(左)カブト釜式蒸留機、(右)ツブロ式蒸留機(画像提供:鮫島吉廣)
(左)カブト釜式蒸留機、(右)ツブロ式蒸留機(画像提供:鮫島吉廣)
アジアに存在する古式蒸留器として2つのタイプが知られています。
上図の左側の蒸留器は、釜に発酵もろみを入れ、釜の下から直火で加熱。甑上部に冷却用の水をたたえた別の釜を乗せ、蒸発し上の釜に触れて液化した蒸気を、管を通して外の器へと導くのです。上部に乗せる釜が「兜(カブト)」に似ていることから、この蒸留器は「カブト釜式」と呼ばれています。
右は、薩摩の芋焼酎で使われていた「ツブロ式」と呼ばれる蒸留機。カブト釜式とツブロ式の違いは、カブト釜式の冷却釜が兜を逆さまにしたようなロート状だったのに対し、ツブロ式では兜を伏せたような形をしていること。ツブロとは、薩摩の古い言葉で「頭」を意味し、中国の浙江省、福建省、台湾、琉球、薩摩だけに見られるとされています。ヨーロッパの蒸留器の原型となったヘレニズム型と類似性があり興味深いところです。
他にも、日本酒を搾った酒粕を蒸留する甑型の専用蒸留器や少量蒸留する「らんびき」など、多様な蒸留器が存在しました。しかし、これらの蒸留器は科学技術として進展することはなく、アルコールの回収が主な目的。東洋では主に庶民が自家用で楽しむ酒を得るための技術で止まっていたのです。
しかし、明治維新を経て富国強兵が国策になると、政府は人々が家庭でつくっていた蒸留酒を禁じて、“密造酒”対策として各家庭の蒸留器なども没収。代わりに、免許を与えた蔵元のみに日本酒や焼酎の製造を許し、酒税をかけました。1902(明治35)年には、酒税は国税収入の38%を占めていたそうです。“密造酒”の禁止はお酒づくりの集約化により産業化・近代化を促し、その後の進化へと繋がりました。
西洋に端を発した蒸留技術は、日本に伝わり伝統的蒸留酒「本格焼酎」を生み出しました。しかし、今のように洗練され多様な楽しみ方ができる国民酒となったのは1970年以降のわずか50年の歴史。東洋の端、日本の本格焼酎が「最後の蒸留酒」として登場したのもある意味「奇跡」と呼べるかもしれません。
主要参考文献:「本格焼酎製造技術」(日本醸造協会、1991年)、「世界のスピリッツ 焼酎」(関根彰、技報堂出版、2005年)、「焼酎の履歴書」(鮫島吉廣、イカロス出版、2020年)、「焼酎の科学」(鮫島吉廣・髙峯和則共著、講談社)、「見なおされる第三の酒 “本格焼酎”の徹底的研究」(菅間誠之助、朝日ソノラマ、1975年)、「焼酎のはなし」(菅間誠之助、技報堂出版、1984年)
(写真:三井公一)
PROFILE
下田雅彦(しもだ・まさひこ)
三和酒類株式会社 顧問 工学博士
1955(昭和30)年生まれ、大分県豊後大野市出身。大阪大学工学部醗酵工学科卒業後、兵庫県の日本酒メーカーに勤務。1984(昭和59)年にUターンで三和酒類に入社。専門技術者として焼酎製造技術開発、商品開発、品質管理に従事しながら、1998(平成10)年に大阪大学工学博士号取得。1999(平成11)年に取締役に就任後、2017(平成29)年、オーナー家以外から初の社長に就任。2023(令和5)年、取締役会長、2025(令和7)年10月より顧問を務める。