本格焼酎のつくり方:「一麹」〜酒の味わいを決める原料処理と麹づくり

Dr.下田の新本格焼酎論 第2回本格焼酎のつくり方:「一麹」〜酒の味わいを決める原料処理と麹づくり

三和酒類で技術者、経営者として本格焼酎づくりに携わってきた「焼酎博士」こと下田雅彦(しもだ・まさひこ)が、本格焼酎の魅力を多角的に語り下ろす本連載。第2回は、日本の酒づくりの基本である「一麹(いちこうじ)、二酛(にもと)、三つくり」の最初の工程、本格焼酎づくりの出発点となる「一麹」について語ります。
語り:下田雅彦(三和酒類 取締役会長) / 構成:井上健二

●「一麹(いちこうじ)、二酛(にもと)、三つくり」について
「一麹、二酛、三つくり」とは、古くは江戸時代から使われている日本酒づくりの工程上の重要度を示した格言で、良いもろみ*1を仕込む(つくる)ためには良い酛(酒母ともいう)がなくてはならず、良い酛をつくるためには良い麹が必要であるという意味です。すなわち、最初のステップである麹づくりが一番に重要だということを示しています。本格焼酎の製造工程は大きく2つに分けられますが、前半の原料処理、製麹(せいきく)、仕込みの工程には、日本酒づくりのこの教えが当てはまります。*1 もろみ:醸造用のタンクに、麹、水、酵母などを入れて仕込み、その後発酵している状態。

本格焼酎の製造工程図(図版作成:下田雅彦)(図版作成:下田雅彦)

ステップ1 麹原料と精白

精白米、精白麦が本格焼酎の品質を左右する

日本酒づくりも本格焼酎づくりも、出発点となるのは麹づくり。原料に麹菌を生やす(繁殖させる)ところから始まるのです。日本酒や本格焼酎では、一般的に麹原料は精白米を使いますが、三和酒類の本格麦焼酎「いいちこ」では精白麦(せいはくばく)を使っています。

ちなみに「精白」とは、米や麦などを搗(つ)いて皮を取り除き白くすること。搗精(とうせい)ともいって、玄米を精白することを精米、玄麦(げんばく)を精白することを精麦(せいばく)といいます。一般的に精白された米は白米、麦は精麦といいますが、ここでは精白米、精白麦という言葉を使います。

麹菌を生やすのは原料の精白(精米、精麦)を済ませてから。そのプロセスにも手間暇がかかっています。

精米というと、玄米を米穀店やスーパーマーケットなどの精米機で精米するシーンを思い浮かべる人が大半でしょう。でも、主食用の米の精米ではせいぜい表層の5%程度を削るだけ。ですから、比較的短時間で簡単に終えることができるのです。それに対して、本格焼酎づくりのための精米では、表層から全体の10~30%ほどを削ります。精米の目的としては2つのことがあります。

第1に、余分なぬかや胚芽などを取り除き、麹がつきやすいようにすること。第2に、表層に多く含まれているタンパク質や脂質など、でんぷん以外の成分を取り除くこと。これらの成分の除去は原酒の香りと味に大きく影響するので、削る程度は製造方針と目標品質によって調整されます。

酒づくりのための精米には、酒造用精米機を用います。精米タンクに入れた玄米を、回転する金剛ロール砥石(といし)に一定速度で通し、1台の機械で循環させながら削っていくのです。時間をかけずに1度で大きく削ろうとすると、負荷がかかり摩擦熱が生じて米粒が割れやすくなります。ですから、摩擦熱による温度上昇を抑えながら回転する砥石に玄米を繰り返し通し、少しずつ削っていきます。精米にかかる時間は70%精米(30%削る)で10時間ほどです。

一方、精麦は日本独特の加工技術で、昭和の時代に米の代替食である麦飯用として普及しました。そもそも大麦は種皮が固く、糖層も厚いため、加工時に粒が割れやすい特徴があります。さらに種皮に覆われた粒の真ん中に入っている「黒条線」と呼ばれる麦特有の黒っぽい縦線が問題になります。凹んだ黒条線の部分の外皮までできるだけ除くために65~70%精麦します。精麦は各社ノウハウを駆使し、砥石のある研削式精麦機(10台前後)と砥石のない摩擦式精麦機(5台前後)を並べ、流速と負荷を調整しながら1台ずつ通して割れないように丁寧に削っていきます。

大麦の断面図。麦粒の真ん中に「黒条線」と呼ばれる溝があるため、米よりも精白が難しい

精麦の良し悪しは、麦焼酎の品質に直結します。そこで三和酒類では、精麦メーカーに協力してもらい、精麦の品質管理を徹底しています。余談ですが、お酒の神様・坂口謹一郎(さかぐち・きんいちろう)先生*2は「各民族の酒の製法は多くその主食の加工法と一致する」と「日本釀造協會雜誌」*3の中で記していますが、まさに日本の酒づくりは、精白米と精白麦を蒸して食べる粒食文化と一体と言えます。*2 坂口謹一郎:1897(明治30)~1994(平成6)年。日本の農芸化学者。発酵、醸造に関する研究で世界的権威の一人。東京大学応用微生物研究所初代所長、同大学名誉教授、理化学研究所副理事長を務める。
*3 「日本釀造協會雜誌/75巻(1980)10号」p.772-776「麹から見た中国の酒と日本の酒」

ビール、ウイスキーづくりに精麦が不要な理由とは

ちなみに、麦焼酎の原料となる二条大麦はビールとウイスキーの原料でもありますが、そこには精麦のプロセスはありません。本格焼酎と同じ蒸留酒であるウイスキーづくりをよく知る人は、本格焼酎づくりにおける精麦の重要性について説明すると、「なぜ麦を削る必要があるのですか?」と疑問に思うようです。

麹菌を使わないビール、ウイスキーづくりでは、玄麦を浸水させて発芽を促します。発芽した麦(=麦芽)の内部の胚芽やぬか層に潜む酵素が活発に働くようになり、麦のでんぷんを糖に変えてくれます(糖化)。この糖から、酵母の働きで発酵が進み、アルコールができるのです。これは西洋では麦芽(モルト)、東洋ではカビ(麹菌)を利用して糖化に必要な酵素を得るという、酒づくり文化の違いなのです。本格焼酎づくりで精麦を行うのは、麦に麹菌を効率的に生やすためですが、精麦した麦は発芽しないのでビールもウイスキーもつくることはできません。

ステップ2 原料処理

米と麦では浸漬方法が大きく異なる

「一麹」の前のもう1つの大事な工程として原料処理があります。洗浄→浸漬(しんせき)→蒸し→放冷の4つのプロセスからなる一連の工程で、米や麦の一粒一粒に麹菌を生やしていくために必要な良い蒸し米、蒸し麦を得る重要な最初の関門です。浸漬とは水分を吸わせること。きれいに洗浄した後、水に浸漬させて、その後蒸します。ここで大事なのは、4つのプロセスを通して吸水をコントロールし、最終的に麹菌を育てるための理想の蒸し米、蒸し麦の水分に仕上げることです。

米・麦の原料処理の流れ

洗浄→浸漬→蒸しの工程で吸水は刻々と進行し、現場の経験と勘が求められます。精白米の場合は、通常十分に吸水させても水分量24〜26%あたりで上限値に達し自然に止まります。蒸しによる水分増加は10%前後で一定ですから、自然と34~36%の蒸し米が得られます。これは、黄麹菌、黒麹菌、白麹菌(後述)の麹づくりに適した水分量で、粘り気の少ない硬いごはん程度です。

一方、精白麦の場合は十分に吸水させると60%近くまで吸水してしまい、水分が多すぎて麹にはなりません。麹菌が増殖しやすい水分量が34~36%というのは、麦の場合もほぼ同様です。蒸しによる水分増加は米より少なく1~2%でほぼ一定ですので、この分を差し引いて蒸し前の浸漬後水分を60%より少ない32~34%に調整することが必要なのです。浸漬水の温度が変わると吸水スピードが変わるため、温度に合わせて分単位の管理をしなければなりません。

本格焼酎づくりでは、通常は米麹が使われますが、それは原料処理が容易だからです。それでも「いいちこ」や大分の本格麦焼酎づくりで麹の原料として麦にこだわるのは、原料の味わいが最終的な製品の味わいに関与するため、つまり麦からつくった麹でしか得られない味わいがあるからなのです。

蒸した後は、蒸し米、蒸し麦を麹づくりに適した温度まで下げてから、次のステップへと移行します。

ステップ3 製麹(せいきく)

バラ麹づくりに見る伝統の技

原料の精白米や精白麦に麹菌が生えた状態のものが「麹」、麹づくりを「製麹」と呼びます。現在では製麹の工程は多くの日本酒メーカー、焼酎メーカーで自動化されていますが、麹をつくる原理は昔から変わりません。ここでは、伝統的な手作業による製麹方法「蓋(ふた)こうじ法」の概略を、黄麹菌による米麹づくりを例に紹介します。

日本酒と本格焼酎で使用する米麹は、米粒一つ一つに麹菌を生やしたもの。これをバラ麹といいます。バラ麹づくりのため、長年の経験を経て先人が確立したのが、蓋こうじ法です。

まず、適当な温度まで冷ました蒸し米を、麹づくりを行う作業部屋である麹室(こうじむろ)に入れます。麹菌は増殖に酸素を必要としますので、麹室は、室温30℃前後、湿度80%前後で換気のできる清潔な部屋です。ここで蒸し米の温度を均一にするため、蒸し米を床(とこ)*4の上に30cmくらいの高さに積み上げ、布で包み込んで保温し、しばらく置きます。その後、蒸し米が団子状に固まらないように、できるだけ細かくバラバラにして、手でかき回しながら薄く広げていきます。これは、米粒一つ一つに麹菌を生やすためです。

ここからが、いよいよ杜氏(とうじ)さんの腕の見せどころ。床に広げられた蒸し米の上から、麹の種となる「種麹(たねこうじ)」*5を満遍なく丁寧に振りかけていきます。これは、麹菌を新たに増やす“種まき”のようなものです。*4 床(とこ):製麹用の作業台。
*5 種麹(たねこうじ):麹菌をできるだけ純粋に培養し大量に胞子を着生させたものを、専門業者が商品化した市販品。販売する専門業者の多くは数百年の歴史を持つ伝統産業で、現在国内で数社しか存在していない。

種まきを終えた蒸し米は、米粒一つ一つに胞子がつくように、さらに手でよく混ぜ合わせます。これを「床もみ」と呼びます。床もみを終えたら、再び高さ30cmくらいまで積み上げ保温します。しばらくすると米粒についた麹菌が増殖を始めます。

途中、堆積させた蒸し米を崩してかき回し、再度積み上げる「切り返し」を行います。麹菌は酸素を好む菌なので、内部に埋もれたままで酸欠になる蒸し米が出るのを防ぐのが狙い。さらに蒸し米の水分を飛ばすことで熱を発散させ温度上昇を防ぐとともに、全体の温度と乾燥程度を整えることで、麹にならない「ハゼ落ち」*6を避けるためなのです。*6 ハゼ落ち:ハゼ(破精)とは蒸し米に麹菌の菌糸が繁殖して、白く見える状態のこと。麹菌の菌糸の増殖が不十分で蒸し米のまま固くなったものをハゼ落ちと呼ぶ。

2日目になると麹菌の生育が活発化し、温度は一層上がります。そこで麹を小分けして「麹蓋」*7と呼ばれる平たい杉箱に移し替え(盛り)、温度を適切にコントロールします。それでも温度上昇は続くため、積み上げた麹蓋の上下を入れ替えたり(積み替え)、麹をかき混ぜたり広げたり(仲仕事、仕舞仕事)して温度管理をします。温度を適温にキープすることで、麹菌の生育が促されると同時に、麹菌内部でその後の醸造に欠かせない酵素が盛んにつくられるようになるのです。*7 麹蓋:主に杉などで作られた木製の小箱。1.5~2.5kg程度の米が入る。通称「蓋(ふた)」。

種麹を散布してから40時間ほど経つと、麹菌の生育は最高潮に達し、42〜43℃でしばらく保ってようやく麹室から出されます。この出来上がった麹を麹室から外に出す「出麹(でこうじ)」で製麹は終了。麹担当の蔵人さんは大事な製麹の間、麹を見守りながら作業と仮眠を繰り返して麹を育てていきます。

本格焼酎や泡盛(あわもり)で使われる黒麹菌、白麹菌でも操作の流れは同じですが、原料や麹菌の違いによって手の入れ方や温度経過など育て方が異なります。このように、伝統的なバラ麹づくりの技術は、世界の酒づくりの中でも非常に独創的で繊細です。

温度・湿度を管理しながら麦麹を攪拌する製麴の工程を自動化した製麹機温度・湿度を管理しながら麦麹を攪拌する製麴の工程を自動化した製麹機

次の工程は、タンクの中で麹と水、酵母を混ぜて糖化と発酵を行う「一次仕込み」(日本酒づくりにおける「二酛」)です。この工程については次回詳しく説明します。

本格焼酎の救世主、黒麹菌・白麹菌

現在、本格焼酎に使われている麹菌は黄麹菌、黒麹菌、白麹菌の3種類。令和6年度酒造講話会資料(熊本国税局)によると、本格焼酎の主産地である南九州全体では白麹菌が87%、黒麹菌が7%、黄麹菌が2%、その他混合使用が4%の割合で使用されています(ただし、芋焼酎に限ると混合使用も含めて黒麹菌の使用率が52%と高くなっています)。

本格焼酎づくりにおける麹菌の利用は、歴史的に数々の紆余曲折を経て現在に至ります。その歴史を振り返ってみましょう。

黄麹菌(Aspergillus oryzae、アスペルギルス オリゼー)を使った麹づくりは13世紀の頃、京都、奈良を中心に定着し、その後全国、南九州へと伝わります。一方、本格焼酎の始まりは16世紀の頃、南九州で日本酒のもろみを蒸留したものだったようです。

主役である黄麹菌の役割は3つあります。第1に、原料を糖化させるαーアミラーゼなど各種の酵素群を多量につくり出すこと。第2に、酵母の増殖と発酵促進に必要な、アミノ酸やビタミンなどの栄養素を供給すること。第3に、お酒に特有の香味成分を付与することです。

黄麹菌を生やした米麹(写真提供:独立行政法人酒類総合研究所)

しかし、黄麹菌の酒づくりは温暖な南九州では決定的な弱点がありました。それは、黄麹菌にはもろみを雑菌から守る酸を生成する性質がないことです。そのため、明治時代まで、特に芋焼酎づくりでは腐造が頻発し、良質な芋焼酎の製造は至難のことでした。

一方、黒麹菌の特性は、クエン酸をつくること。多量のクエン酸がもろみを酸性(pH*8 3.2~4.2)にすることにより、雑菌汚染を防止してくれます。黒麹菌は琉球王朝の時代に独自に見出され、長い間、泡盛製造の秘伝として継承されていました。

1879(明治12)年、琉球が沖縄県となってから、1901(明治34)年に黒麹菌(Aspergillus luchuensis、アスペルギルス リューチューエンシス)が発見され、その後その有用性が知られるようになりました。1910(明治43)年頃には税務監督局の技師の指導により、黄麹菌に代わって黒麹菌が本格焼酎づくりに導入されます。黒麹菌は、麹菌に必要な第1、第2、第3の役割を持ちながら、第4の役割、もろみを酸性にすることにより腐造問題を一気に解消するスーパー麹菌だったのです。*8 pH:酸性・アルカリ性の程度を表す指標。7が中性、7より小さいと酸性、7より大きいとアルカリ性を示す。

ただ当初、黄麹菌に慣れていた南九州の製造者は黒麹菌の取り扱いに苦労していました。黒麹菌の胞子は、文字通りすすみたいに真っ黒なのです。製麹作業で服が黒く汚れてしまい、しまいには鼻の穴まで黒くなったりします。

その問題も黒麹菌導入から十数年後に解決されます。1924(大正13)年、独自に黒麹菌を分離し研究を進めていた河内源一郎(かわち・げんいちろう)先生が、黒麹菌の胞子の中に突然変異で白く変色した胞子を発見。それを分離して白麹菌を見出しました。ですから、白麹菌の学名はAspergillus luchuensis mut. Kawachii(アスペルギルス リューチューエンシス ミュット カワチ)となっています。

白麹菌の胞子は、黒麹菌の胞子よりも汚れが目立たず作業がしやすいうえに、黒麹菌と同じく腐敗を防ぐクエン酸もつくることから、急速に多くの蔵で採用されるようになりました。

黒麹菌を生やした米麹。すすのような黒い胞子がつくり手たちを悩ませた(写真提供:独立行政法人酒類総合研究所)
白麹菌を生やした米麹(写真提供:独立行政法人酒類総合研究所)

酒質の上でも黒麹菌と白麹菌のそれぞれの特徴に違いがみられます。黒麹菌からつくられる本格焼酎は辛口ながら野生的な風味とコクがあるのに対し、白麹菌でつくる本格焼酎は香りが穏やかで味も甘みがあり柔らかいという特徴があります。以来、長い間、白麹菌使用100%の時代が続きましたが、1990(平成2)年頃から、商品の多様化により黒麹菌の辛口で野生的な風味を生かした本格焼酎づくりを行う蔵元も増えてきました。

黒麹菌と白麹菌の登場は、本格焼酎の救世主登場だったといっても過言ではありません。

もう1つの奇跡、泡盛誕生の謎

黒麹菌と泡盛の誕生の経緯は大きな謎に包まれています。

シャム(現在のタイ)や東アジアから琉球へ伝わったと考えられる蒸留酒づくりは、餅(もち)麹を使用します。西洋では麦芽(モルト)、東洋ではカビ(麹菌)を利用する酒づくり文化と前述しましたが、日本以外の東アジアでは米、麦、雑穀を粉砕し、粉に少量の水を加え、生のまま練り固めて餅状やせんべい状に成形し麹にする餅麹です。ここで増殖してくる麹菌はクモノスカビ(Rhizopus sp.、リゾプス属)です。

一方、日本では米を蒸してバラ麹の麹をつくります。ここで増殖してくるのが、アスペルギルス属の黄麹菌(Aspergillus oryzae)や黒麹菌(Aspergillus luchuensis)なのです。この違いは、生の穀類を分解する酵素を持つか、熱を加えた穀類を分解する酵素を持つかの生存競争の差で分かれると言えます。

最初は餅麹を使って始まったと考えられる琉球の蒸留酒づくりが、いつの時期にバラ麹に代わったのか、歴史的資料が残っていないため未だに専門家の間で謎とされています。

謎解きの鍵となる3つの事実があります。

1つ目は、江戸時代まで薩摩藩の支配下にあった琉球王朝は、琉球焼酎を江戸幕府への献上品の1つとしていました。献上品の記録が残る「徳川実記」によると、1653年までは琉球王朝からの献上品として、「焼酒」(蒸留酒を指す中国表記)や「焼酎」と記されていました。ところが、1671年の記録では「泡盛」に変わりそれ以降は「泡盛」で統一されています。

表記が変わった1653~1671年の間に何か変わった理由があるのではないかという推測です。これについては、そもそも泡盛の語源も①薩摩藩が他の焼酎と区別するために命名した説、②蒸留時に泡が盛んに盛り上がることからその名が付いた泡由来説、③サンスクリット語(梵語)の「アワムリ」由来説があり謎なのですが、1671年が転換点となったと言えます。

2つ目は、琉球王朝は1658年に、王室から使者を薩摩藩に3年間派遣し、さまざまな学問や文化、技術を持ち帰ったとされています。この時に日本のバラ麹を持ち帰り、琉球王朝で秘伝の泡盛づくりが始まったという仮説です。ただし、黄麹菌を使ったバラ麹を持ち帰ったとしても、「徳川実記」で「泡盛」表記に変わる1671年まで十数年の短期間で、餅麹に代わって黄麹菌ではなく黒麹菌によるバラ麹づくりまで進化したとは考えにくい気がします。

3つ目は、琉球王朝が輸入していた蒸留酒「ラオ・ロン」の製造元であるシャムとの交易が1569年に途絶えたという史実です。ここからは私の想像ですが、ラオ・ロンが手に入らなくなって困った琉球王朝は、ラオ・ロンを手本として蒸留酒づくりを模索し始めます。最初は餅麹でつくり始めた大陸式蒸留酒だったようですが、日本各地との交流の中で、日本で一般庶民にまで普及していた味噌や醬油、自家用酒づくりで使う土着のバラ麹づくりを見聞し、逆輸入したのかもしれません。その後、沖縄の地でバラ麹利用が定着していくうちに、蒸した穀類に必然的にリゾプス属のクモノスカビではなくアスペルギルス属の黒麹菌が出現し、泡盛誕生につながったのではないでしょうか。

400年ほど前の琉球王朝秘伝のバラ麹づくりがどのような経緯で誕生したのか興味は尽きませんが、シャムとの交易が途絶えた1569年から、「泡盛」の文字が登場する1671年までの約100年の間に、3つの事実が複雑に交差して、東アジアで沖縄だけに存在する黒麹菌利用の蒸留酒文化が育まれたのです。

本格焼酎が、寒冷地の日本酒づくりと、琉球から学んだ蒸留技術の融合によって生み出されたものならば、泡盛は大陸式の蒸留酒づくりと日本伝統のバラ麹技術の融合によって萌芽し、琉球王室の御用酒として独自に進化した、もう1つの「奇跡のスピリッツ」と言えるのかも知れません。

主要参考文献:「日本酒」(秋山裕一、岩波書店、1994年)、「和食とうま味のミステリー」(北本勝ひこ、河出書房新社、2016年)、「現代焼酎考」(稲垣真美、岩波書店、1985年)、「焼酎の履歴書」(鮫島吉廣、イカロス出版、2020年)、泡盛の考古学(小田静夫、勉誠社、2000年)

下田雅彦(しもだ・まさひこ)(写真:三井公一)

PROFILE

下田雅彦(しもだ・まさひこ)

三和酒類株式会社 取締役会長 工学博士
1955(昭和30)年生まれ、大分県豊後大野市出身。大阪大学工学部醗酵工学科卒業後、兵庫県の日本酒メーカーに勤務。1984(昭和59)年にUターンで三和酒類に入社。専門技術者として焼酎製造技術開発、商品開発、品質管理に従事しながら、1998(平成10)年に大阪大学工学博士号取得。1999(平成11)年に取締役に就任後、2017(平成29)年、オーナー家以外から初の社長に就任。2023(令和5)年、取締役会長に就任。