手島勝馬「川をきれいに直してみんなが遊べるようになればいい」

大分に暮らすということ 第6回川をきれいに直して
みんなが遊べるようになればいい

日田漁業協同組合組合長手島 勝馬

古くは天領として栄えた大分県日田市は、筑後川に多くの河川が流れ込む水郷(すいきょう)としても知られ、アユのやな漁は、夏の風物詩と言われています。アユのほか、ウナギやヤマメなど渓流の魚が多く釣れる筑後川水系ですが、ダム建設の影響で、近年ではアユの天然遡上がない状態だといいます。日田伝統の漁業を守るため、アユやウナギの中間育成、稚魚の放流、河川の水質保全活動を行っている日田漁業協同組合(以下、日田漁協)の組合長を務める手島勝馬さんに、日田の漁業の歴史や川を守る活動についてお話を伺いました。
文:青柳直子 / 写真:三井公一

アユのやな漁は明治時代から。お金を出し合いやなを作ってました

――日田の漁業の歴史について教えてください。もともとはどのような漁が行われていたのですか。

うち(日田漁協)の管内は、福岡の県境から玖珠川(くすがわ)の境までと、熊本の県境までの約30kmぐらいで漁を行っていました。玖珠川と大山川の合流地点が(この日田漁協の事務所の)すぐそばにあって、三隈川(みくまがわ)になる。そのすぐ下流に高瀬川が流れ込み、さらに花月川とも合流する。で、三隈川は筑後川となって有明海に注ぎます。

手島勝馬さん

昔の文献を見るとね、明治の頃から漁業権っていうのが明治政府から与えられていたみたいですね。大正時代になってから「やな」を設置したやな漁*1が許可制になったようです。今でいう国土交通省、昔なら建設省、その前はなんだったか分からないですけど、そういうところからやなを設置するための許可をもらうために、みなでお金を出し合ってね。*1 やな漁:川の中に足場を組み、木や竹で作ったすのこ上のやな(梁)に、上流から泳いできた魚がかかるのを待つ漁法。

アユのやなは大正時代には日田市内で5カ所くらいあったそうです。ちょうどその頃が日田漁協(当時は「漁業会」と呼んだ)の始まりですね。昔から漁1本で食っとる人は少なかったようです。今も昔もほとんどが兼業漁師。昔は町内でも裕福な、例えば製材所さんとかが頭になって20人くらい人を集めてね。やなを作った時はそこで捕れたアユを販売するという形で商いをやっていたそうです。

アユ料理専門店「やな場茶屋」が観光用に設置した「やな」。コロナ禍でここ2年休業中。撮影は2017(平成29)年8月(写真提供:日田漁業協同組合)アユ料理専門店「やな場茶屋」が観光用に設置した「やな」。コロナ禍でここ2年休業中。撮影は2017(平成29)年8月(写真提供:日田漁業協同組合)

あとは鵜飼いね。昭和30年代に岐阜の長良川から鵜匠を4人、日田に連れてきたんですよ。今でも日田にはその人たちの流れを汲む現役の鵜匠が2人います。

通常の漁師は「押しアユ」と言って、月のない新月の夜に瀬の中に入って、石の横で眠ってるアユを手で押さえて捕獲する。今ではできる人はもうほとんどいないけど。網で捕っていいことになったから、その方がてっとり早いもんね。

川魚は塩焼きに刺身、甘露煮など食べ方多彩

――日田漁協管内ではアユのほかにどのような魚が捕れますか。

漁師はアユ専門で捕っている人が多いけどね。アユのほかに漁獲量の多いのは、ウナギ、スッポン、オイカワ、ハエ(ハヤ)。エノハ(ヤマメ)、ウグイ、ナマズ、ワカサギやらも捕れます。オイカワとかハエは甘露煮に。アユも小さければ甘露煮にするけど、やっぱり塩焼きが美味しいですね。3枚におろして刺身で食べるのも美味しいですよ。

ウナギはね、日田の食文化としたらかば焼きが美味しいです。けっこう大きくなるんですよ。ウナギの大きさの単位は3Pとか4Pとかで示します。1kg当たり3匹だと3P。これだと1匹あたり330g前後。ひつまぶし*2で食べるのは5Pとか6P。1匹200gとか150g強だね。「アユやな」にかかるウナギは大きくて、1匹が1kgで1Pだね。1匹で1.5kgぐらいあったというのも聞きます。私も昔、長さは1mちょっとやけど、直径が10cmぐらいのウナギを捕ったことがあってね。その時は「西日本新聞」に出してもろたね(笑)。*2 ひつまぶし:かば焼きにしたウナギの身を切り分けて、おひつなどに入れたご飯にのせた(まぶした)もの。

ウナギは、アユと一緒に下りてくるんですよ。アユは「1年魚」なんで、1年で腹に卵を詰めだしたら9月から10月にかけて川を下り始めるんです。ウナギは4、5年かけて卵を持つけれど、アユをエサと思ってついて下りてくるんです。だから、やなにアユがいっぺんにかかったと思ったら、後ろにウナギがおるんですよ。ただし、やな漁もコロナ禍でここ2年というもの、できていませんけどね。

手島勝馬さん

ダム建設で途絶えたアユの自然遡上。水害で川の形も変わった

――近年ではアユの自然遡上がないということですが、なぜですか。

日田漁協管内はダムとダムに挟まれてるからね。上流には夜明ダム、下流には筑後大堰(ちくごおおぜき)ダム。最初にできたのは夜明ダム。1954(昭和29)年には完成してたね。電力会社が管理する発電用のダムで、魚道を造らずにダムだけを造ったから、上からの魚の行き来がなくなってしまったんですよ。

手島勝馬さん

それでこの年から日田漁協がアユの放流を始めたんですよ。始めて10年くらいは、筑後大堰ダムのあたりで産卵して、有明海で大きくなって、夜明ダムのあたりまでは上がって来ていたんですけどね。最近はそれもないですね。ということは有明海自体がもう、魚の住む環境じゃなくなってるんじゃないかと思うんですよ。

それからもうひとつ。夜明ダムの上に下筌(しもうけ)ダムと松原ダムができたんですよね。もう50年くらいになりますけど。ダムができた最初の頃はまだ魚の生育も良かったんですよ。ところがここ、12、3年前から川の中がおかしくなってきよるねって気づき始めたんですよ。

きれいな川には魚のえさになり、水中の環境整備の役割も果たす珪藻(けいそう)とか藍藻(らんそう)とかいう藻ができないかんのに、今、肉眼で見ても分かるように、もう泥かも分からん、藻かも分からんようなもんが両岸にいっぱいあるんですよ。

日田漁業協同組合事務所

年々、河川の環境がおかしくなってきている

梅雨時期になると治水のためにダム貯水池の水位を下げるんです。貯水池には泥やヘドロがたまっている。水位を下げたあとで、泥の混じった水を今度は発電用に利用するんですよ。このときに底にたまった泥などが貯水池の中で収まり切らずに、流れ出てきて、こういう川にしてしまったんですよね。

同じ日田市に流れ込む高瀬川では上流域のきれいな水を流すための清流バイパスっていうのを造ったんですよ。だからうちの方にも美しい水をくれませんか、もしくは、ダムの中の浚渫(しゅんせつ)*3をやってもらえませんか、と今、関係各位に陳情しよるところです。*3 浚渫(しゅんせつ):河川や池、港湾などの底面を浚(さら)って土砂、泥などを取り去る土木工事。

私が組合長になってから、国や県、市、電力会社、うちから人を出して、年4回同じ所に潜って川の中の水質調査をずっとやりよったんですよ。それがコロナ禍でここ2年はできていませんけどね。本来なら100万匹放流したら60t、70tの水揚げがあったのが、今は25tがいいとこ。だんだん河川の環境がおかしくなっているというのは、行政や電力会社も分かってるんですけどね。

――大水害による影響も大きいと聞きます。

川の形が大きく変わったのは大雨の影響ですよ。ここ10年で100年に1回しか降らないような豪雨が3回もきてね。大災害でした。川岸は壊れるし、今まで浅かったところがどんどん深くなって。それを修繕する工事を今まだやってるんです。川を修繕するとなると次に氾濫しないように川を深く掘る。硬い岩盤を削って一勾配で作ってしまうから、水の流れが急になる。

水がちょろちょろ流れるのなら、魚もちょろちょろおられるかもしれんけど、大水の時には一勾配で深い川だと魚のよけ場がない。流されるしかないんですね。こういう作りだと川底に石も止まらんし、万一、人が流された時にも止まらんのですよ。こういうやり方をした結果、もう魚は絶対川には戻らん。だから、私と組合の役員何人かで交渉しよるんですよ。みんなで痛み分けして川幅を広くして、中に川をもうひとつ作って、中で遊べるようなきれいな川にしていきませんかって、国や県や市に提案しているところです。

手島勝馬さん

稚魚を育てて放流するのも日田漁協の役割

――組合長のお仕事は川を守るための交渉が多いのですね。そのほかの組合の役割にはどのようなものがあるのですか。

昔は正組合員が350人くらい、準組合員が1,000人くらいおったんですけど、魚が減ってしまい、漁だけでは食べていけないし、高齢化で後継者不足もあって激減してしまってですね。正も準も取っ払って全て組合員としたんですけれど、今はもう230人ほどですね。組合の仕事としては、大きくは遊漁券の販売と、川の監視・環境保全、魚の中間育成と放流ですね。

監視員

監視というのは釣りをしている人が遊漁券を持っているかどうか声をかけて確認する仕事です。遊漁券を持っていない人には売り場を教えて購入してもらうように指導します。禁じられている外国種の魚の放流なども見張っています。正規の監視員のほかに準監視員・特別監視員の方々がいますが、よく渓流釣りをする人がボランティアでやってくれています。

中間育成というのは、アユやウナギの稚魚(種苗)を業者から買って、自然の川で生きていけるぐらいの大きさになるまでいけすや囲網の人工池の中で育てることです。育ったら川に放流します。

放流委員は、年10回ほどある放流の時期を決めて、それを取り仕切る仕事です。アユは3月11日から4月下旬までの間に5、6回、ほかにもウナギ、エノハ(ヤマメ)、スッポンを放流しています。

最近、ウナギの稚魚であるシラスウナギが急激に値上がりしましてね。昔は1kgで約6000匹の値段が、30万円から高くても60万円くらいだったんですけど、年々値上がりして、今年は200万円にもなったんですよ。放流には最低でも4kgは必要ですから、予算的に手が出せない。そこで、成魚になる前のクロコが売られるのを待っています。うちは川に入れてしまえば、4、5年かけて太ってくれればいいので、そういうのを安く入れたりしてやりくりしています。

アユやウナギの稚魚(種苗)を育てる「日田漁協大山中間種苗センター」の養魚場アユやウナギの稚魚(種苗)を育てる「日田漁協大山中間種苗センター」の養魚場
黒板

ウグイとかオイカワは自然産卵で増えていくからいいんですけど、アユやウナギは購入して育てて放流しない限り、天然では川にはもういないんです。

釣り客は大切にしています。組合員が減って、組合員の賦課金より遊漁券での収入の方が多くなってきていることもありますし。釣りに来る人は福岡、熊本、佐賀、あるいは四国、中国地方といったところからが多い。ハイシーズンになると関東からもたくさん来ます。今はSNSで情報が一気に拡散しますからね、いいことも悪いことも。「釣れたけど川が汚かったよね」などとならんように、環境保全にも努めないといけないですよね。

三隈川でアユ釣りを楽しむ釣り人たち三隈川でアユ釣りを楽しむ釣り人たち

魚霊祭では魚の霊を弔い、関係者の意思疎通をはかる

――今日、見学させていただいたアユの法要の「魚霊祭」も組合の行事ですか。

魚霊祭を始めたのは1989(平成元)年のこと。今回はコロナ禍で規模を縮小しましたけど、ふだんお世話になってる人たち、一緒に魚を捕る人たち、それに携わった建設業の人、国や県の役所の人たちを事務所に集めて、法要、アユの稚魚の放流、酒盛りまでしよったんですよ。前日からアユやウナギの川魚尽くしの料理を作ってね。

やっぱり、やなを始めてからけっこうな量の魚を捕るということで魚の霊を弔うという意味と、関係者の意思疎通の場でもあったと思います。組合の近くのお寺の住職に頼んで、仏式でやってもらっています。住職も渓流釣りをする特別監視員なんですよ。

年に1回行われる魚霊祭の法要(会場は日田漁協の事務所2階)年に1回行われる魚霊祭の法要(会場は日田漁協の事務所2階)
魚霊祭の一環として行われた日田漁協の組合員の手で三隈川の沈下橋からアユの放流魚霊祭の一環として行われた日田漁協の組合員の手で三隈川の沈下橋からアユの放流

魚霊祭より古くからあるのは水天宮祭ですね。1952(昭和28)年の大水害の後に、やな場のある竹田公園に水天宮をまつっているんですよ。日田漁協の種苗センター(養魚場)の敷地内にもあります。水天宮祭は神式です。いつから、というのは文献を探しても分からないので、ずっとずっと古くからだと思います。

――漁協組合長のお仕事以外の手島さんのお仕事について教えてください。

私は1954(昭和29)年に三隈川の下流域で生まれました。親父が漁師をやりながら川砂利などを販売する建材店を始めて、建設業中心に移行して、私がそれを継いで建材店の2代目です。今は息子が3代目として継いでくれています。親父の代から今にいたるまで兼業漁業をしとります。

日田漁協から、第三セクターで経営しているアユ料理専門店「やな場茶屋」(日田鮎やな場)の運営を4年ほど任されることになって、経営を黒字にしたところで、今度は漁協の専務になってくれっちゅうことで。その後、8年前から組合長をやっています。だから、アユにしてもウナギにしても、料理もできるしね。酒のつまみとか作ったらうまいばい(笑)。

「日田漁協大山中間種苗センター」施設内に建つ水天宮の石碑「日田漁協大山中間種苗センター」施設内に建つ水天宮の石碑
手島勝馬さん

魚の中間育成、放流についての漁協負担にも限界が来る

――最後に、日田の漁業の将来について教えてください。

漁協が中間育成して放流した魚の漁や釣りで食べていけるのは、あと10年くらいだと思っています。育成して放流する、それだけのお金をもう用意できなくなる。だから、その後に何ができるのか、今、模索しよるところです。

日田漁協のネックは組合員から預かったお金のほとんどを、魚の育成と放流に充てるということで税金がかからないのですが、それ以外に先行投資には使えないというところ。さっきも話したように、稚魚が値上がりしていることもあって、養殖業でもうけるのはなかなか難しい。

だからこの10年の間に、行政や電力会社側に中間育成と放流までもやってもらえるように、なんとか交渉しないといけない。うちは本来の捕れる分だけをとって、遊漁券を販売する、という形に戻れば、組合員への賦課金ももっと安くできると思います。組合員も高齢化しよるから負担を小さくしたいね。

日田漁協事務所内の壁にかかる歴代組合長の名札

それから、今、大山町農協とコラボして何か新たなビジネスを作ろうと構想を練っています。農協さんがうちのアユで作った商品を販売してくれよる部分はあるんだけど、具体的に動くのはこれからだね。

あと10年間は自分が組合長としてがんばろうとは思ってるんだけど、あっちこっち体もボロボロでね(笑)。でも日田の漁協のために、もうあとひと踏ん張りしたいと思っています。

手島勝馬(てしま・かつま)

PROFILE

手島勝馬(てしま・かつま)

1954(昭和29)年、漁業と建設業を兼業で営む家に生まれ、2代目社長となる。2010(平成22)年から2013(平成25)年まで第三セクターで運営するアユ料理専門店「やな場茶屋」の経営立て直しに尽力。2009(平成21)年に日田漁業協同組合の専務、2014(平成26)年に組合長に就任して現職。趣味は料理。自宅でも得意の魚料理の腕を客人に披露する。

大分の魅力を探る3つの質問

大分の見どころを
教えてください。

まずは日田ですね。四季がはっきりしてる。夏は全国トップになるような暑さ、春は桜、秋は紅葉、冬には雪も降る。そういう四季折々の自然がいいね。川をきれいに直して、みんなが遊べるようになればいいな。あとは祭りが多いこと。日田祇園祭(ユネスコ無形文化財登録)のほかにも月に1回、年10回は祭りがありますよ。

お好きな大分グルメは
何ですか?

アユもいいけど、ウナギが美味しいね。ウナギの湯引き。よそは生では食わんから、日田でしか食えないと思うよ。ウナギを湯でさっと流すだけやけん。ぷりっとしててポン酢とかでね。あとは日田発祥の柚子(ゆず)胡椒をつけて食べてもうまいね。

どんなお酒をどのように
楽しんでいますか?

お酒は毎日飲みますね。来る人の好みもあるから、家には焼酎なら麦、芋、そば。ウイスキーも用意しています。焼酎は冬はお湯割り、夏は水割り。最近は自宅で地下水をくみ上げて、それで炭酸水を作ってハイボールにもします。割合は間違いなく濃いめ。焼酎が6、水が4くらい(笑)。