富貴寺副住職 河野 順祐「スローフードの食事のこともお寺のこととつながっているんやな」

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大分に暮らすということ 第4回スローフードの
食事のことも
お寺のことと
つながっているんやな

富貴寺副住職河野 順祐

大分県国東半島(くにさきはんとう)では神仏習合発祥の地・宇佐神宮を中心に、山岳信仰とも融合した独自の宗教文化が育まれました。奈良~平安時代には、「六郷満山(ろくごうまんざん)」と呼ばれる寺院群が活発に建立されました。その中のひとつ天台宗・富貴寺(ふきじ、豊後高田市)は約900年前に建立され、現存する九州最古の木造建造物である国宝の富貴寺大堂(ふきじおおどう)が保持されている古刹。旧き歴史を守り伝える傍らで、旅人をもてなす宿坊「旅庵 蕗薹(ふきのとう)」も営まれています。富貴寺で僧侶としてのお務めと、蕎麦打ちも含む料理人としてのお仕事、双方で国東半島を歩く人々とのつながりを広げる副住職の河野順祐(こうの・じゅんゆう)さんを訪問しました。
文:藤田千恵子  / 写真:三井公一

現存する九州最古の木造建造物「富貴寺大堂」

――富貴寺の由来と特色について教えてください。

九州の木造寺院の中では、ここが一番古い建築物です。建立は718(養老2)年、開基は仁聞菩薩 (にんもんぼさつ)*1と伝えられています。国東半島には歴史のある寺がたくさんありますが、900年前当時の木造建造物が現存しているのは、ここだけです。富貴寺大堂*2の中の木材は3分の2が建築当時のものです。

お堂の中には、平安時代に描かれた壁画も残されています。秋になると境内*3の銀杏や紅葉を見るためにたくさんの方がおいでになります。あとは四季を問わず、お堂のフォルム、形が好きだとおっしゃって何度もお見えになる方々もいらっしゃいますね。*1 仁聞菩薩:宇佐神宮の祭神である八幡神の化身。人間の僧侶であったという説もある。
*2 富貴寺大堂 :本尊の阿弥陀如来をまつる阿弥陀堂(あみだどう)。平安時代後期に建立された、現存する九州最古の木造建造物。1952(昭和27)年に国宝に指定された。蕗(ふき)の大堂とも呼ばれる。
*3 境内:富貴寺の境内は2013(平成25)年に国の史跡に指定された。

富貴寺副住職 河野 順祐さん

ここは古い歴史を持ちながら、昭和20年代までは住職不在の寺でした。戦争中は、空爆も受け、爆弾がお墓の木に当たったり、仏さまの像が転がったり、お経本が外に散らばったりといろいろな被害があったそうです。そこへ先々代、僧侶だった私の祖父が戦争で負傷して国東(くにさき)に戻り、檀那寺(だんなでら=先祖の墓がある寺のこと)の住職のすすめでここに入りました。

この周辺の木々は、祖父が植えたものです。今のように観光の人たちが来るわけではないし、檀家がいるわけでない。たまに歴史好きの人が訪ねてくるくらいですから、自分で畑をすることくらいしかできず、当初の生活は大変だったそうです。それで祖父や周辺の住職たちが集まり「これからのお寺をどうしていこうか」と話し合って「観光に目を向けて、お客さんたちを呼べるようにしないといかんね」という路線を打ち出した。それが国東に人を呼び込もうとした第1世代の人たちです。

このあたりは山の中ですから、現代でも檀家さんは少なくて、どこのお寺でも生計を立てることは難しい。みなさん、農協に勤めたり、学校の先生をしたり、副業を持ちながらお寺を維持している人が多いですね。

富貴寺副住職 河野 順祐さん

同世代の僧侶が中心となって国東を盛り上げている

――国東観光の動向はいかがですか。遠方からのお客さまも多いのでしょうか。

20年前が国東半島の観光ブームで、一番多い時には年間約21万人の方々がおいでになっていました。昔は大型バスでの団体旅行や慰労会、懇親会、特に秋のお客さまが多かったようです。国東半島は車がないと不便なところですから、ご年配の方たちは観光バスでおいでになることが多く、お寺の住職がバスに一緒に乗って説法をしながら移動する巡礼の旅というツアーも行われていました。しかしながら、近年のお客さまの数はピーク時の3分の1くらいに落ちてしまっています。旅の形も団体よりも個人に変わってきたし、みなさんの旅の選択肢も増えてきましたから。

ただ、ここへきて「国東を昔のように盛り上げていこう」という動きも我々世代の仲間からは出てきています。一度は国東から出て外で仕事をし、今またここに戻ってきたという30代から40代の僧侶たちは「六郷満山会」という法要の集まりでも顔を合わせており、よくまとまっていると思います。みんなで国東の寺院の魅力を多くの人たちに伝えることで、参拝に来ていただけるようになれば、外に働きに出ないでお寺の仕事だけでやっていけるようにもなります。

2018年には、六郷満山開山1300年と10年に1度の峯入り行(みねいりぎょう)*4とがタイミングよく重なりましたので「峯入りツアー」を開催しました。仁聞菩薩の足跡約150㎞の道のりを5日間かけて歩いて巡る「行」に一般の方々の参加を呼びかけ、僧侶が同行したのです。他にも自然豊かな土地で癒しを求める方、山の中でトレッキングをしたりお寺を回ったりと、身も心も健康になる旅をしたいと希望される方々を国内外からお迎えするウェルネスツーリズムの動きなども出てきて、国東への来訪者は増えつつありました。今はまたコロナの影響で減っている状態ですね。*4 峯入り行:国東半島の寺院群「六郷満山」で僧侶の修行として行われる。山々の険しい道を通り、岩屋や社寺などの霊場を巡る荒行。一時期途絶えていたが、太平洋戦争後に再興されてから、およそ10年おきに実施されており、前回は2018年に実施された。

富貴寺

富貴寺副住職 河野 順祐さん

朝7時の座禅から1日が始まる

――お寺でのお仕事、普段のお暮らしについて教えてください。オンとオフはどのようなものでしょう。

うちの場合、檀家さんが少ないので、ずっとつきっきりでお寺の仕事をするというわけではありません。観光シーズンは宿坊「旅庵 蕗薹」のほうの仕事が忙しくなります。朝は、まず宿の朝食をお客さまにお出しして、お寺で座禅の体験をしたいというお客さまや護摩焚きのご要望があれば寺のほうに戻ってきて対応します。

座禅は、宿に宿泊の方が予約された時だけ朝7時から行います。座禅自体は30分くらい、朝のおつとめやストレッチを含めて1時間くらいですが、冬季はお客さまが風邪をひくといけないので行いません。お堂は火気厳禁ですので暖房も使えませんし。

富貴寺副住職 河野 順祐さん

お寺では夕方までは、お客さまへの対応として御朱印を書いたり、お堂のことをお話ししたり。自宅に帰ってからは食事を作ります。うちはまだ子どもが7歳と9歳と小さくて、妻は学校の教師なので、食事作りは私が担当することが多いんです。宿にお客さまがおいでの時は、蕎麦を打ったり夕食の準備をして、帰宅は夜10時くらいになりますね。

僧侶と料理人の二束の草鞋。
20代を経てたどり着いた現在地

――どういう経緯で僧侶と蕎麦職人のお仕事を兼ねるようになられたのですか。

ここで生まれて高校までは地元に。手塚治虫のコミック「ブッダ」を読んでお坊さんは面白そうだ、と思い、大正大学に進学しました。比叡山に行くという選択もありましたが、正直に申しますと、東京で遊びたかったんです(笑)。学生時代はあまり勉強はせずにアルバイトして遊んでばかりでした。

大学3年生の時にカンボジアに行くことになって、アンコールワットの近くのシェムリアップという場所で学校を建てる人たちのお手伝いをしたり、花壇の修理をするボランティアをしました。その時、地元の子どもたちが、貧しくてもキラキラした目をして輝いていた。それを見て、幸せってお金じゃないよなと思いました。そんな体験のあとに「遊んでばかりじゃいけない」と思い、大学院へ進学しました。うちの場合は天台宗でご本尊が阿弥陀様ですから、極楽浄土についてもいろいろ学びました。

富貴寺副住職 河野 順祐さん
(右)富貴寺副住職 河野 順祐さん

国東に帰ったら、家では宿坊の仕事をやるということは決まっていました。母が精進料理を作ってお客さまをもてなして。

その頃はちょうど、豊後高田市が蕎麦で町おこしをしようという時期だったのですが、地元で蕎麦栽培はできても食べる所がなかった。なので湯布院で蕎麦職人の修業をしないかという話が来まして、その第1期生ということで湯布院に蕎麦打ちを学びに行きました。

修業は半年契約ということでしたが、どうせやるなら店できちんと出せるだけの蕎麦を習得したいと思い、湯布院で3年弱お世話になりました。

自然と歴史に触れ、身も心も楽になる宿坊にしていきたい

――食の世界に修業に入られて、どんなことを感じましたか?

僕が湯布院に蕎麦修業に出た頃、作家の島村菜津さん*5がスローフードの考え方を日本に紹介していたのですが、僕らが精進の修行で学ぶ「食の来由」とスローフードが重なるところがあるなと思いました。「食の来由」には「つつしんで食の来由を訪ねて味の濃淡を問わず」という一文があります。食べ物がどこからここへ来たのか、僕らも菜っ葉を見たら、この菜っ葉はどこで誰が作ったんやろうかとか、どういう天候のもとでできたんやろうかとか、そういうことに思いを巡らせていると感謝の気持ちが湧いてくる。スローフードの食事のことも、お寺のこととつながっているんやなと思いました。*5 島村菜津(しまむら・なつ):1963年長崎県生まれ。ノンフィクション作家で、日本におけるスローフード運動の先駆けのひとり。

富貴寺

――蕎麦修業のあとは、ご実家のお宿へもどられたのですか?

いえ、修業を終えてそろそろ帰ろうかなというときに、蕎麦しか打てない、これでは使い物にならんな、と思って。その頃は、妻がワーキングホリデーでオーストラリアにいて、彼女から現地の日本料理店で働く人を募集していると聞いたんです。それで僕もオーストラリアに行って包丁の使い方から教えてもらいました。だから僕の料理は、オーストラリア仕込みの日本料理です。オーストラリアで1年半働いたあと、インドにも3カ月ほど行き、やりたいこともやったし、と思い、国東に帰ってきました。

――今後は、どんなことをやっていきたいですか?

今は、お寺の仕事と宿の仕事と二足の草鞋ですが、もう少し時間ができたら、手の込んだ料理も作りたいと思いますね。宿では温泉も掘りましたので、ゆっくり心身を休めてもらうこともできます。宿においでになる方には、国東の自然や文化、歴史に触れていただき、ゆっくり温泉に浸かって身体に優しい食材を使った料理を召し上がっていただく。いらした方が身も心も楽になるような、リトリートの宿を作っていきたいですね。

河野順祐(こうの・じゅんゆう)

PROFILE

河野順祐(こうの・じゅんゆう)

1981年大分県豊後高田市生まれ。大分県立高田高等学校卒業後、大正大学人間学部仏教学科天台学コース入学。同大学院卒業。修士論文は「天台浄土思想」。2006年から3年間、湯布院の「古式そば泉」で蕎麦打ち修業。2009年から1年半、オーストラリアの日本食料理屋で修業。2010年から富貴寺の副住職としてのお勤めのほかに、「旅庵 蕗薹(ふきのとう)」で蕎麦打ちも含む食事提供を担当。家族は教師の妻と男の子2人。

大分の魅力を探る4つの質問

大分のおすすめスポットを
教えてください。

国東半島はもちろんですが、私たちもマイクロツーリズムで県内に旅行に行く機会が増えました。よく行くのは別府です。温泉毎に効能や湯上がりの感じが異なり、改めて温泉の良さを再確認しています。

お好きな大分グルメは
何ですか?

大分の食べ物は山の幸、海の幸どちらもおすすめですので特にこれが! とは選べません。申し訳ございません(笑)。

どんなお酒をどのように
楽しんでいますか?

宿が暇な時は、子どもの顔を見ながらゆっくりと晩酌を楽しみます。うちは、祖父の代からお酒が好きでした。焼酎、日本酒、ワイン、なんでも飲みますが、寒くなると日本酒が多くなるかな。あとは、焼酎のお湯割りも。

大分でいちばん自慢できる
ところはどこですか?

海も山もあって食べ物も豊富で、いろいろな意味で豊かだと思いますね。豊国という名前だったくらいですから。気候も瀬戸内気候といって穏やかだし。自然の恵みが多くて、なんとなく、のんびりした人は多いと思います。せかせかしなくていい、急ぐ必要はない、という土地。総合的に人を健康にできる場所だと思います。