安倍斉「ぶどうの声はまだ聞こえませんが顔色くらいは分かるようになったかな」

大分に暮らすということ 第2回ぶどうの声は
まだ聞こえませんが
顔色くらいは
分かるようになったかな

農業家(ぶどう栽培)安倍 斉

大分県宇佐市安心院(あじむ)町の安心院葡萄酒工房は、2001年に設立された三和酒類のワイナリーです。06年からは安心院町産のぶどうのみを使用したワイン造りにシフトしています。そのワイナリーに、20年前からワイン醸造用の高品質なぶどうを提供しているのが、宇佐市安心院町松本、通称イモリ谷*1でぶどう農家を営む安倍斉(あべ・ひとし)さん。ぶどう作りにかける思いを伺いました。
文:井上健二  / 写真:三井公一 *1 イモリ谷:周囲を山に囲まれた南北に細長い谷あいにある松本集落。谷の形が「イモリ」に似ていることから付けられた愛称。

白紙の状態から独学でぶどう作りを極める

――ぶどう栽培を始めた経緯から教えてください。

父から引き継ぎました。私の父はもともと建設業を営んでいました。私は一人っ子でしたし、5歳の頃から家の敷地内で油圧ショベルカーで遊んでいるような機械好きな子どもだったので、将来は親父と一緒に仕事をしようと工業高校で建設と土木を学びました。しかし、ちょうど高校を卒業した頃、父は新規事業としてぶどう栽培に乗り出しました。公共事業の発注が少なくなり、建設業だけに頼っていると立ち行かなくなると予想して、新たに農業をやることにしたのです。いまから20年前のことです。

安倍斉(あべ・ひとし)さん

宇佐市安心院町は、西日本有数のぶどう産地です。安心院町は霧が深い盆地で朝夕の寒暖差が激しいため、成熟期にぶどうの糖度が高くなりやすく、ぶどう栽培に向いている土地柄なのです。安心院で盛んだったのは生食用のぶどうの栽培でしたが、父が始めたのは、ワイン醸造用のぶどう栽培でした。その頃、安心院葡萄酒工房さんが地元でワイン醸造用のぶどう栽培を奨励されており、その要望に応えたのです。

父が急逝し、ぶどう畑を引き継ぐことに

父は建設業はプロでも、ぶどう栽培はズブの素人でしたが、安心院葡萄酒工房では生食用のぶどう栽培の経験がない就農者を求めていました。同じぶどうでも、生食用と醸造用は似て非なるもの。生食用の栽培の経験がむしろ邪魔になる恐れもありますから、固定観念にとらわれずに醸造用のぶどうを作ってくれる人が欲しかったのでしょう。家から車で6、7分山道を上ったところに、生食用のぶどう畑だった土地2.7ヘクタールを借り受けて、そこに醸造用のぶどうの苗木を植樹することからスタートしました。

植えたのは、白ワイン用のシャルドネと、赤ワイン用のメルロー。銘柄は、安心院葡萄酒工房の初代の工場長さんと、父が話し合って決めたようです。ところが、ぶどうの樹を植えて2年目に父が急逝してしまい、思いがけず、母と2人でぶどう栽培を手がけることになりました。だから私は、ぶどう農家の2代目というよりも、1.5代目みたいなものです。

――まさに白紙からのスタートですね。ぶどう作りはどうやって学ばれたのですか?

高校で学んだのは建築と土木ですから、ぶどう作りはもちろん、農業の経験もゼロ。集落内の生食用のぶどう農家さんから教えてもらいつつ、「習うより慣れろ」で試行錯誤しながら、ほとんど独学で突き進んできました。その点、安心院葡萄酒工房さんが、九州各地の醸造用ぶどうの産地に研修で連れて行ってくれたのが、大いに役立っています。畑を見せてもらい、栽培農家の方々と意見交換をして、ずいぶん勉強させてもらいました。

ぶどう栽培は細かい作業の連続ですが、私は細かい作業が嫌いではないので、ぶどう作りが性に合っていたようです。毎日畑に行くのも、まったく苦になりません。父は私とは正反対で、豪快で細かいことが苦手な性格でしたから、もし生きていたとしても、現在までぶどう作りを続けていたかどうか分かりません。ぶどう作りは私と母に任せてしまい、自分はさっさと他のビジネスをやっていたんじゃないでしょうか(笑)。

近所の農家さんから教えを乞いつつ、ここまでほぼ独学でやってきた 近所の農家さんから教えを乞いつつ、ここまでほぼ独学でやってきた

雨、暑さ、台風から、知恵を絞ってぶどうを守る。

――安心院でぶどうを作るいちばんの難しさは、どんなことですか?

それは何といっても雨対策ですね。ぶどうの原産地は雨が少ない乾燥地帯ですから、本来はヨーロッパやカリフォルニアのような乾燥した気候風土を好むもの。日本、とくに大分のように雨が多く、湿度も高い気候風土で栽培するのは難しいのです。宇佐市は瀬戸内気候に近くて降水量は少なめですが、それでもヨーロッパやカリフォルニアのぶどう産地と比べると、やはり雨は多いのです。

ぶどうにつく代表的な病害の「べと病」などはカビが原因で、雨が多く、湿度が高いと発生して蔓延しやすくなります。また、雨が降りすぎると、ぶどうの樹が余計に水分を吸い上げてしまうので、ぶどうの実が水っぽくなる恐れもあります。

降雨による害を防ぐために、私たちは畑全体にビニールで覆いをかけています。カビや病害虫の発生を抑えるには、消毒液の散布が欠かせませんが、ビニールで雨を避けることができたら、消毒液を散布する回数も量も減らせます。

畑の普段の手入れは、私と妻、母の3人で行っていますが、毎年3月頃からビニールをかけるときは、地元の学生などのアルバイトに手伝ってもらいます。なかには中学生の頃から手伝ってくれているベテランもいて、うちでのアルバイトがきっかけでワイン造りに興味を持ち、三和酒類さんに就職した人もいます。9月末にぶどうの収穫が終わると、またアルバイトに集まってもらい、ビニールを撤去する作業を行います。

降雨による害を防ぐため3~9月の間、畑をビニールで覆う降雨による害を防ぐため3~9月の間、畑をビニールで覆う

――畑をビニールで覆うことで、栽培の課題は解決するものですか?

残念ながら、そうではありません。
大分の夏はとても蒸し暑いので、ビニールをかけっ放しにしていると、畑全体が蒸し風呂のようになり、ぶどうの生育にダメージを与えます。高温障害で葉が焼けてしまうのです。そこで夏場で雨が降らないときは、ビニールの覆いを外して風通しを良くします。

加えて高温が続くときは、スプリンクラーで水を噴霧して、気化熱を奪う打ち水効果で気温が上がりすぎないようにコントロールします。ぶどうの実が水っぽくならないように、樹が吸わない程度に水を撒く量を調節しているのです。

――夏場に雨が降ったら、どうするのですか?

雨が降る前に急いでビニールをかけます。いまはスマホに降雨情報を知らせてくれる便利なアプリもありますが、以前はテレビの天気予報を見てビニールをかけるか、外すかを判断していました。天気予報では晴れだったのに、夜中に突然想定外の雨が降り出し、雨音で飛び起きてぶどう畑まで車を飛ばし、慌ててビニールをかけたこともありました。

また、大分は台風の通り道にもあたるので、台風の問題もあります。ぶどうの樹の生育には、日当りも風通しも良い方が有利ですが、そういう畑は裏を返すと台風の被害を受けやすいとも言えます。台風の風雨から、ぶどうの樹を守るためには、ビニールをかけたままにした方が良いのですが、それだとビニールが暴風雨で飛ばされてダメになる恐れがあります。台風のたびにビニールを新調していたら、経営が成り立ちませんから、台風が来るときはビニールを外して飛ばされないようにしています。

ぶどうの収穫が終わるとビニールの覆いの撤去作業が始まるぶどうの収穫が終わるとビニールの覆いの撤去作業が始まる

枝と葉を通して太陽光がキレイに透けるように、畑を丁寧に手入れする。

――ぶどう畑を拝見しましたが、生食用のぶどうと同じように「棚仕立て」ですね。

ヨーロッパのワイン用のぶどう畑は、いわゆる「垣根仕立て」が主流です。生け垣のように、幹から新たな枝を地面から垂直に伸ばす仕立て方です。しかし、日本では棚に沿って枝を水平に広げる、ぶどう狩りなどでもおなじみの「棚仕立て」が主流です。私たちもこの棚仕立てで栽培しています。

棚仕立てだと風通しが良くなり、ぶどうの葉に太陽が当たる面積を最大限に広げることができます。また、日照も雨も多い日本の気候風土では、垣根仕立てにすると、枝が元気に伸びすぎて収拾がつかなくなる恐れがあります。

――ぶどう作りの1年のサイクルを教えてください。

9月末までに収穫を終えたら、落葉する前に元肥(肥料)をあげて、ぶどうの樹に養分を吸わせます。その後、ぶどうの樹は休眠期に入ります。冬の間、ぶどうの樹が寝ている間に、私たちは農繁期には手が回らなかった畑とその外周の整備を進めます。

年が明けたら、不要な枝や古い枝を切り落とす「剪定(せんてい)」です。さらに、ひと節から出ている芽は1つか2つだけ残して、他は全部落とす「芽かき」を行います。出た芽を全部残して葉が育つがままにしていたら、(そこに養分を吸い取られて)ぶどうの樹は1、2年で枯れてしまいます。

その後、5月中旬から7月半ばまで「誘引(ゆういん)」を行います。棚に張り巡らせた誘引線に、枝を地面と平行に倒してテープで固定する作業です。これで葉同士の重なりを最小限に抑えて受光率を上げ、植物にエネルギーをもたらす光合成を促します。加えて、枝と葉が太陽に向かって伸びるように、芽が枝の上側に来るように指先で枝をねじる「捻枝(ねんし)」を行います。

誘引が終わると、ぶどうの新しい梢(こずえ)の先端部をカットする「摘芯(てきしん)」をします。これをやらないと、養分が先端に集まって梢がどんどん伸び続けてしまい、養分がぶどうの房に十分回らなくなる恐れがあるからです。

夏になると「ヴェレゾン」と呼ばれるぶどうの色づきが始まり、7月末にはシャルドネが成熟期に入り始めます。遅れてメルローも、8月中旬には「飛び玉」といって房のなかで色づく実がとびとびに出てきます。そして9月から収穫の準備に入るのです。

――どれも大変そうな作業ばかりですが、なかでも大変な作業は?

やはり誘引ですね。誘引は、毎年ぶどうの樹との競争。始めの頃は、「誘引するには、まだ枝がちょっと短いかなぁ」と内心思いながら作業をしていますが、夏に入ると枝の勢いが勝るようになり、油断すると作業が追いつかなくなります。ぶどうはつる性の植物ですから、誘引が遅れると隣接する枝と枝、ヒゲとヒゲが絡まって収拾がつかなくなります。

大変な作業ですが、誘引がちゃんとできるかどうかが、ぶどうの品質を大きく左右しています。私には、理想とする誘引のイメージがあります。それは、全部終えて下から見上げたとき、枝と葉っぱを通して太陽光が均等に透けているような誘引です。このイメージを共有できているのは、いまのところ妻だけです(笑)。

風通しの良さや手入れのしやすさなどから「棚仕立て」で栽培している 風通しの良さや手入れのしやすさなどから「棚仕立て」で栽培している
ぶどう栽培は樹木を相手にした細かい作業の積み重ねだ ぶどう栽培は樹木を相手にした細かい作業の積み重ねだ
手をかけただけ、ぶどうの樹はそれに応えてくれる 手をかけただけ、ぶどうの樹はそれに応えてくれる

ぶどうの声に耳を澄ませながら、
ワインから逆算した栽培を心掛ける

――目指しているのは、どのようなぶどう作りですか?

安心院葡萄酒工房の担当者さんと、畑でじっくり話し合いながら、良いワインを醸造するには、どういうぶどうが必要なのかを逆算して栽培しています。大切なポイントの1つは、収穫時期。早すぎると糖度が不十分ですし、遅すぎると実が熟しすぎて酸度が少なくなります。そろそろ収穫という時期になると、畑からぶどうのサンプルを安心院葡萄酒工房へ持ち帰ってもらい、糖度や酸度などの科学的な分析データを元に、その後の天候を踏まえて収穫する日を決めています。

シャルドネの実は、成熟し始めは緑色をしていますが、さらに成熟するとキレイな黄金色に変化します。それが糖度も十分で見た目にも美しい白ワインができるサイン。シャルドネは雨に弱いという弱点があり、栽培は難しいのですが、きちんと作れば品質は安定しやすいのがメリットです。

たわわに実ったシャルドネ。成熟するとキレイな黄金色に変わるたわわに実ったシャルドネ。成熟するとキレイな黄金色に変わる

ぶどう作りに関して、安倍さんらしいユニークな試みがあったら教えてください。

自分ではユニークとは思っていなかったのですが、10年ほど前に安心院葡萄酒工房の担当者さんから「安倍さんのぶどうでワインを醸すと、他の農家さんのぶどうとは違った良い風味があります。何か工夫をされていますか?」と聞かれたことがありました。

その担当者さんと話して分かったのは、安心院のぶどう栽培農家で私だけが、ぶどうが実っている時期に「ボルドー液」を使っていなかったという事実。ボルドー液とは、フランスのワイン銘醸地ボルドーで使用が始まり、120年ほどの古い歴史を持つ殺菌剤です。

私がボルドー液を使わなかったのは、せっかく撒いても、雨が降って洗い流されるたびに繰り返し撒く必要があり、その作業に手を取られると他の仕事がおろそかになり、ぶどうの質が落ちる恐れがあったからです。ボルドー液には、ぶどうの葉を保護してくれる働きもありますから、畑をビニールで覆わない本州のぶどう産地などでは、ボルドー液を使わないと良いぶどうは栽培できません。でも、大分のように畑をビニールで覆い、雨などからぶどうの葉を守っていれば、ボルドー液を使わなくても健全に実は育つのです。

なぜボルドー液を使わないと、ワインに良い風味が生まれるのか。その細かい理屈は、私には分かりません。しかし、試験的にボルドー液を撒いたぶどうと、撒かなかったぶどうでワインを造って比べたところ、撒かないぶどうの方が良いワインが醸造できました。それ以降、安心院のワイン醸造用のぶどう農家は、ぶどうが実っている時期にボルドー液を使うのをやめているそうです。

試行錯誤を重ねながらここまでやってきた 試行錯誤を重ねながらここまでやってきた

――最後に、ぶどう作りでいちばん大切にしていることを教えてください。

ぶどうの樹の個性を活かすことですかね。シャルドネとメルローを父と1080本植えて、20年経ってもまだ900本ほどが元気に育っています。これだけあっても同じ樹は1本もなく、同じ品種でも1本ずつ個性があります。おデブさんもいれば、マッチョもいるのです。特にメルローは個性が強い。それに合わせて栽培したいと常に思っています。

ぶどう栽培を始めた頃、生食用のぶどうを育てていた集落の先輩農家さんたちに、「20年やったら、ぶどうの声が聞こえるようになるぞ」と言われました。20年経って、まだ声が聞けるようにはなっていませんが、顔色くらいは分かるようになったかな。

私には子どもが2人います。子育てと同じように、ぶどうの樹も手をかけただけ、それに応えてくれます。ぶどうの声が聞こえるまで、これからも日々精進したいですね。

「シャルドネと比べると雨に強く育てやすい」というメルロー「シャルドネと比べると雨に強く育てやすい」というメルロー
安倍 斉(あべ・ひとし)

PROFILE

安倍 斉(あべ・ひとし)

1982年生まれ。大分県宇佐市安心院町松本、通称イモリ谷でワイン醸造用のぶどう栽培農家を営む。ぶどう栽培を始めた矢先に父が急逝したことから、一人っ子として畑を引き継ぐ。家族は妻、長女、長男。

大分の魅力を探る4つの質問

大分のおすすめスポットを
教えてください。

うちのすぐ近所にある南光寺(大分県宇佐市安心院町松本)の仁王像です。鎌倉時代後期の作品で、県内にある仏像で2番目に古いのだとか。高さが2メートル以上もあり、迫力満点です。是非1度拝観に来てください。

お好きな大分グルメは
何ですか?

りゅうきゅう*2ですかね。大分といえば唐揚げととり天も有名ですが、私はとり天派。ポン酢にカラシを溶かしてつけて食べると、美味しいですよ。*2 りゅうきゅう:地元で獲れた新鮮な魚を、醤油、酒、味醂(みりん)、ゴマなどで作ったタレと和えて食べる大分の郷土料理

どんなお酒をどのように
楽しんでいますか?

親父が、毎日晩酌で焼酎を飲んでいるのを見て、「なぜ毎日飲むんだろう」と不思議に思っていましたが、ここ1、2年で自分もすっかり毎日晩酌派になりました。焼酎かハイボールが多いですが、もちろん安心院ワインも飲みますよ。とくにシャルドネは、どんな料理にも合うと思います。仲間が集まる祝いの席などでは、スパークリングも開けますが、瞬時になくなってしまいます(笑)。

大分でいちばん自慢できる
ところはどこですか?

イモリ谷大分の他のエリアは分かりませんが、イモリ谷は人が温かく、人と人との距離が近い。私のようにずっと地元にいる人も、1回地元を出てからUターンした人も、他の土地から移り住んだ人も、自然に交流しています。あと地図で見る県の形がキレイだと思います(笑)。