マルタ・アルゲリッチ「まだまだやらなければならないこと、学ぶべきことがたくさんある」

大分ゆかりのあの人 第7回
スペシャルインタビュー
まだまだやらなければならないこと、
学ぶべきことがたくさんある

ピアニスト/(公財)アルゲリッチ芸術振興財団 総裁/別府アルゲリッチ音楽祭 総監督マルタ・アルゲリッチ

第22回別府アルゲリッチ音楽祭の室内楽コンサートから(2022年5月28日、大分市・iichiko総合文化センター iichikoグランシアタ)©脇屋 伸光

世界屈指の名ピアニストであるマルタ・アルゲリッチさんが、3年ぶりに大分に帰って来られました。1998(平成10)年にスタートした「別府アルゲリッチ音楽祭」でアルゲリッチさんは総監督を担ってきました。コロナ禍の影響で2年間中止を余儀なくされましたが、今年3年ぶりに再開。5月には変わらぬ優美で見事な演奏を披露してくださいました。今回の大分来訪時に、アルゲリッチさんにインタビューを申し込んだところ、快く応じてくださいました。
翻訳:伊藤京子(別府アルゲリッチ音楽祭総合プロデューサー)

30年にわたるアルゲリッチさんと大分との交流

アルゼンチン生まれのアルゲリッチさんは、15歳の時にヨーロッパに渡り、現在もヨーロッパにお住まいです。いまでも世界一流のオーケストラや指揮者、音楽祭に招かれて、頻繁に欧米やアジアなど海外での演奏活動に取り組んでいらっしゃいます。

アルゲリッチさんが初めて大分を訪れたのは1994年1月のことです。出会いが縁を取り結び、1996年には「別府アルゲリッチ音楽祭」の総監督に就任。1998年に第1回別府アルゲリッチ音楽祭を開催して以来、今年で第22回を数えます。「別府アルゲリッチ音楽祭」の内容に対する評価は年々高まり、名実ともに世界有数の音楽祭の1つに成長しています。

アルゲリッチさんは大分の各地も訪問されています。2011年に三和酒類が運営するワイナリー「安心院葡萄酒工房」と自社ブドウ畑「あじむの丘農園」を見学された際には、アルゲリッチさんがブドウの苗を植樹されました。同工房では、その樹木にアルゲリッチさんの演奏する音楽を聴かせながら育成する試みをいまも継続しています。

三和酒類管理畑「あじむの丘農園」での植樹 ©紅葉谷 昌代三和酒類管理畑「あじむの丘農園」での植樹 ©紅葉谷 昌代三和酒類管理畑「あじむの丘農園」での植樹 ©紅葉谷 昌代

幼少期の音楽との出合い

――このたびは質問の機会をくださいましてありがとうございます。まずはアルゲリッチさんの幼少期のことを聞かせてください。アルゲリッチさんはどんな子どもだったのですか。

とっても引っ込み思案な子どもで、ピアノでこれを弾きたい、あれをやりたい、というタイプではありませんでした。先生やほかの子が弾いているのをただ静かに聴いていました。

私が通った幼稚園が、本当にいいところでした。この幼稚園が私に大きな影響を与えてくれました。普通の幼稚園とはちょっと違っていて、ゆったりとしていて、先生は休み時間にピアノを弾いてくれたり、子どもたちと歌を歌ったりしてくれました。それから、いい音楽を聴かせてくれました。これが、私の最も重要な音楽との出合いとなりました。

2歳8カ月の頃、同じ組の男の子から、「どうせピアノは弾けないよね」と挑発され、毎日幼稚園で耳にしていた子守唄のメロディーを弾きました。それから始めたのです。

マルタ・アルゲリッチさん2015年、第17回別府アルゲリッチ音楽祭で行われた「しいきアルゲリッチハウス」竣工式にて ©Rikimaru Hotta

――世界のピアニストの中で最高峰として⾧らくご活躍していらっしゃるアルゲリッチさんが、そのレベルを保つために日頃から行っていることはありますか。

健康を保つために歩くこと、ですね。私は自然が好きなので時間が許せば散歩をしています。健康であることは誰にとっても大切なことですね。

――ステージに立つ前に、いつも意識していること、心がけていることがあれば、教えてください。

友人や若手音楽家に私の演奏を聴いてもらい、自分が進歩しているかどうか、常にチェックしています。年齢を重ねるにつれ、失ってきているものもありますが、進歩している面もあります。

自分が何かを成し遂げたという感覚は全くありません。まだまだやらなければならないこと、学ぶべきことがたくさんあります。私は生きている限り、進歩し続けたいと思っています。自分の可能性を探り、自分の才能をどう使うことができるのかを考えています。

良い緊張は必要なことだと思う

――世界の一流アーティストと演奏をされているアルゲリッチさんの姿を、今はネットなどでも拝見できるようになりました。いつも堂々と気高く演奏されているのが印象的です。あえてお伺いしますが、舞台上で緊張することはおありでしょうか。もしも緊張されることがある場合、そのときはどのように対処していらっしゃいますか。

ある意味、緊張はいつもしますね。ナーバスになることもありますが、良い緊張は必要なことだと思っています。私の場合は緊張がなくなったら、演奏をやめるべきだとも思います。

――⾧年ピアノを続けてきて、ピアノが辛い、あるいは弾きたくないと思ったことはございますか。

演奏自体を嫌に思ったことはないです。その周辺で起こること、例えば旅程や公演のスケジュールが過密になって、今自分がどこに居るのかさえ分からなくなるような環境というのは好きではありません、本当に。

――アルゲリッチさんにとってピアノを演奏することの喜び、ピアノという楽器の魅力を言葉で言い表すとすれば、どんなものでしょうか。

それを言葉で説明することはできません。喜びは喜びです。なんと言えばいいでしょうか。それは音楽から来るものですし、さまざまな環境も関係しています。いつも同じ感情とは限りません。喜びを感じるかどうかは、私が演奏している音楽にもよります。音楽が語っているものによって決まるのです。

全ての音楽が喜びをもたらすというわけではありません。ただもちろん、演奏する喜びを自然に感じられることは重要です。そうでなければ演奏がただの「仕事」になってしまいます。演奏することの喜びは、音楽への愛から、私たちが聴く作品から、やってくるものです。

――オフの日はどのように過ごしていらっしゃいますか。また、家ではどのような音楽を聴いていらっしゃるのでしょうか。

映画や読書はとても好きです。音楽鑑賞も好きです。よく聴くのは他の人が演奏するクラシック音楽ですね。

マルタ・アルゲリッチさん第22回別府アルゲリッチ音楽祭の室内楽コンサート会場で 
©脇屋 伸光

24年目を迎えた別府アルゲリッチ音楽祭

――アルゲリッチさんが総監督を務められる「別府アルゲリッチ音楽祭」の第1回が開催されたのは1998年のこと。今年24年目で第22回を迎えます。アルゲリッチさんが世界各地で手掛けてきた音楽イベントと比較して、この「別府アルゲリッチ音楽祭」は、どのような存在でしょうか。

ここ大分は、私が特別な愛情を持っている場所と申し上げて過言ではありません。また、音楽祭が始まった当初から、伊藤京子さん*1が尽力して、ここまで続いてきました。私にとって彼女の存在は非常に重要です。

ここではたくさんの素晴らしいことがありました。椎木正和(しいき まさかず)さん*2からピアノや「しいきアルゲリッチハウス」*3という考えられないような愛情のこもった贈り物をいただきました。このようなことは他では考えられないことです。

また、先日の別府公演の時に聴衆の皆様からも他にはない深い愛情をいただいたように感じました。これは⾧い時間が経過したからこそ得られる特別なつながりが、ここにはあるのかもしれませんね。*1 伊藤京子:ピアニスト。公益財団法人アルゲリッチ芸術振興財団副理事長、しいきアルゲリッチハウス プロデューサー。アルゲリッチさんの古くからの友人で、「別府アルゲリッチ音楽祭」の総合プロデューサーを務める。
*2 椎木正和:実業家。アルゲリッチ芸術振興財団名誉理事を務めた。
*3 しいきアルゲリッチハウス:アルゲリッチさんを顕彰し、2015年に椎木正和氏からアルゲリッチさんに贈られた音楽ホール。150人収容。アルゲリッチさん専用のピアノ「マルティータ」(スタインウェイ&サンズ社のD274型)が置かれている。

アルゲリッチさんと盟友の伊藤京子さん。第10回別府アルゲリッチ音楽祭「ピノキオコンサート in 宇佐神宮」(2008年5月)にて ©Rikimaru Hottaアルゲリッチさんと盟友の伊藤京子さん。第10回別府アルゲリッチ音楽祭「ピノキオコンサート in 宇佐神宮」(2008年5月)にて ©Rikimaru Hotta

――コロナ禍の影響で別府アルゲリッチ音楽祭は2年にわたり中止を余儀なくされました。アルゲリッチさんも不自由な日々を送られたのではありませんか。どこでどのような毎日を送られていましたか。

幸運なことに、全く私の活動には変化がなかったのです。収録も多くありましたが、かえって普段よりも公演が増えてしまいました。奇妙なことですね。コロナウイルスの影響で、人とのつながりを困難にしていますが、これによってかえって人とのつながりの大切さも改めて知ったように思います。

大分は私をリラックスさせてくれる

――アルゲリッチさんが初めて大分にいらっしゃったのは1994年1月と伺いました。最初の大分の印象はどのようなものでしたか。東京や大阪などの大都市と比べて、どのようにお感じになりましたか。また、その後、何度も大分に足を運ぶ中で、大分の良い思い出があれば教えてください。

初めて別府に到着した時は、少しだけ知っていたことは、温泉と「地獄」があるということでした。湯けむりや地獄を見物した時には驚きましたね。独特な匂いもありますね。

今は別府を訪れるたびに、我が家に帰ってきたように、自分が守られているように感じます。大分県全体の印象はベートーヴェンの交響曲第6番「田園」を思い出します。緑豊かで遠くを広く見渡せる……。安心院(あじむ)もそうですね。本当に心地いい場所です。人の温かさが私をとてもリラックスさせてくれます。

――大分に暮らす人に向けて、アルゲリッチさんからメッセージをお願いします。

先ほど申し上げたように、大分は自然に恵まれ、そのうえ人の温かさのある土地です。そのような場所に住む皆さまが、健康で幸せであることを願っています。そして私たちの音楽祭が皆さまの幸せな生活の一部になってくれるとうれしいです。

大分県は、大分県をはじめ日本、そして世界各国でのアルゲリッチさんの歴史的な功績を称え、2021年6月5日アルゲリッチさん80歳の誕生日を祝し、6月5日を「マルタ・アルゲリッチの日」と制定しました。

「マルタ・アルゲリッチの日」制定動画では、アルゲリッチさんや大分県 広瀬勝貞知事のメッセージをご覧いただけます。
Musical Ties forged in Beppu! The harmony of Music Festival Argerich’s Meeting Point in Beppu

「第22回別府アルゲリッチ音楽祭2022」で行われたプログラム詳細などはこちらをご覧ください。
公益財団法人アルゲリッチ芸術振興財団 公式サイト

Martha Argerich(マルタ・アルゲリッチ) ©Rikimaru Hotta

PROFILE

Martha Argerich(マルタ・アルゲリッチ)

1941年、アルゼンチン・ブエノスアイレス生まれ。スカラムッツァのもとでピアノを始める。1955年にヨーロッパに渡り、ロンドン、ウィーン、スイスでザイドルホーファー、グルダ、マガロフ、リパッティ夫人、ステファン・アスケナーゼに師事。1957年のブゾーニおよびジュネーヴの国際ピアノコンクール、そして1965年のワルシャワのショパン国際ピアノコンクールで優勝。それ以降も世界のクラシック音楽界で最高峰の評価を受けるピアニストの一人。欧米、日本などで世界一流のオーケストラや指揮者、音楽祭に頻繁に招かれるほか、室内楽にも熱心に取り組む。1998年より「別府アルゲリッチ音楽祭」総監督、2007年より財団法人アルゲリッチ芸術振興財団(2013年から公益財団法人)総裁に就任。大分県外国人名誉県民。「高松宮殿下記念世界文化賞」「旭日小綬章」(2005年)「旭日中綬章」(2016年)、米国では「ケネディ・センター名誉賞」(2016年)、イタリア政府よりコメンダトーレ勲章(2018年)を受章。2022年5月、大分県より大分県の芸術・文化振興に大きな功績を与えていると県民栄誉賞が授与された。