内川聖一「岐路に立った時に必ず助けてくださる人との出会いがあるんです」

大分ゆかりのあの人 第9回【後編】岐路に立った時に
必ず助けてくださる人との出会いがあるんです

プロ野球選手内川 聖一

内川聖一、40歳。日本野球機構(NPB)の横浜ベイスターズ、福岡ソフトバンクホークス、東京ヤクルトスワローズで活躍して2022年に惜しまれつつ引退。今年から、プロ野球独立リーグ「ヤマエグループ 九州アジアリーグ」の大分B-リングスの現役選手として、相変わらず鋭いバッティングを中心に溌溂(はつらつ)としたプレーを披露してファンを魅了しています。幼い頃から取り組んできた野球への思い、ふるさと大分の仲間への想い、独立リーグ「ヤマエグループ 九州アジアリーグ」に期待することなどを語っていただくインタビューの後編です。 前編「家族や友人に『まだ野球するのを見たい』と言ってもらえたことが一番の後押しに」 写真:三井公一

もう失くすものはない。覚悟を決めてバッティングを変える

――今回のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)は大谷翔平選手やラーズ・ヌートバー選手、吉田正尚(よしだ・まさたか)選手といった大リーガー組の活躍もあり、大変盛り上がりました。大会前のスポーツ番組などで過去の映像もたくさん流されましたね。2009年第2回大会の韓国戦での決勝で、イチロー選手のセンター前ヒットで内川さんが本塁を踏むシーンとガッツポーズを何度も拝見しました。

記録映像のおかげで今の子どもたちの世代も内川聖一という選手を知っててくれますし、野球教室などで子どもたちにWBCに3回出たんだよ、って話もします。それで、僕自身がどんなプレーをしたかってことよりも、最後にイチローさんがセンター前に打った時、僕はサードランナーだったんだよ。それを言う方がウオーッとなりますね。イチローさんのセンター前ヒットが、いかに皆さんに認知されているのかってことを僕が証明している。すごいところにいさせてもらったんだな、幸せだったなと思います。2008年、2011年の首位打者獲得と3回のWBC出場は僕の人生を変えてくれた経験でした。

内川聖一さん

――横浜ベイスターズ(現・横浜DeNAベイスターズ)の選手だった2008年に、首位打者を獲得されました。その3割7歩8厘という打率は右打者の最高打率で、この記録はいまだ破られていません。

2008年は入団して8年目。それまで毎年レギュラー候補と言われながら結果的にはレギュラーが取れないシーズンが続いていました。この年の自主トレに行く前だったかな。このままやっていてももう駄目だなという感覚があったんで、実家で両親に、「今年レギュラーが取れなかったらもうプロ野球をやめるわ」って話をして臨んだ覚悟のシーズンだったんです。

ちょうどその年に、ヤクルトスワローズから杉村繁(すぎむら・しげる)さんがコーチとして来られて。それまでのバッティングを修正してみたらと言われたんです。僕自身が目指していた、前の方(投手側)のポイントで強く打つというバッティングはだめだと。「相手チームは、お前をそうやって前で打たせてアウトにしようとしているんだぞ」って。えって思ったんですよ。え、逆?って。

「今の時代は小さい変化球も多くなっているし、せっかく90度のフェアグラウンドがあるんだから、それをフルに、広角に使ってヒットを打つバッティングをするのがいいんじゃないか」って言われました。

僕はバッティングにずっと自信をもってやっていたし、これで崩れたらいやだなというのが先に来るはずなんですが、この年は、もう自分の中で失くすものは何もないし。覚悟を決めて、バッティングを変えてみようと決断しました。いろいろ練習方法を試してみて、自分の中で感覚を変えていった。そうするうちに、からだの中にいい感覚が湧いてきて。あ、これなら1年間いけるなという感覚をつかみました。

(写真提供:大分B-リングス)(写真提供:大分B-リングス)

ボールがサッカーボールぐらいに見えた感覚

――言葉にしていただくとどういう感覚なんでしょうか。投手が投げたボールを前でさばこうとするのを、もっと自分の立ち位置に呼び込んで打つわけですか。

そうですね。ちょっと打つポイントを近くして、今まで前に引っ張りたいというバッティングが多かったんですが、それをフェアグランドの90度をうまく使って、ここでもヒット、ここでもヒット、と打ち分けていくという感覚ですね。打つポイントをからだの近くにすることで、もう少し長くボールを見ることができます。長く見られる分、ストライクゾーンの判断もしやすくなりました。

――まさに覚悟の年にいい出会いがあったんですね。

それは間違いないですね。いままで自分が長所だと思っていたものが短所って言われた時に、えっ、て。これがなければやめてもいいや、というまさにその時の出会いでした。

――右打者最高打率を記録した2008年の絶好調の頃に、投手の投げたボールがサッカーボールぐらいに見えたという話をされていました。

ボールがサッカーボールくらいに見えた感覚というのは2打席ありました。広島東洋カープのコルビー・ルイス投手が投げたボールを左中間に打ったんです。それと中日ドラゴンズの吉見一起(よしみ・かずき)投手が投げたボールをセンターオーバーに打った。その2打席だけはその感覚がありましたね。

内川聖一さん

――サッカーボールほどでなくても、調子がいい時というのはどんな感じなのですか。

打席に入った時にその日1日のバッティングの様子が分かりました。ああ、今日打てるなとか、今日はちょっと厳しいとか。実は僕は予知能力みたいなのってうっすらあると思っているんです。打席に入った瞬間にここにこういうボールが来る、こうやって打ったらあそこにホームランになる、とかが分かっていました。なんというか連続写真が流れていくようなイメージでしたね、その時って。そんな感覚はすぐなくなりましたけど。これが一生あったら楽だったと思いますね。

――後進にその感覚はなかなか伝えられないですね。

伝えられないですね。感覚は伝えられない。逆に、僕は守備が苦手だったんで、守備の感覚を教えられても分からないんです。ボールのここを見ればこうなるだろうと言われても、いや、全然分かんないです、って。それを思うと、感覚を伝えるのって難しいですね。

退路を断たれて挑んだファーストで
ゴールデングラブ賞

――でもその苦手とおっしゃる守備で、福岡ソフトバンクホークス時代にゴールデングラブ賞を獲得されましたね。

僕はピッチャー、キャッチャー以外、全部スタメンで守りました。やらなきゃ自分は試合に出られないからやってきたんで、まさかゴールデングラブ賞なんて夢のまた夢でしたけど。

34歳か35歳の時かな。福岡ソフトバンクホークスに大分県の先輩で、鳥越裕介(とりごえ・ゆうすけ)さんが、一軍内野守備・走塁コーチでいらっしゃったんですよ。大分出身ということもあって、すごくよく面倒見てもらって。ダメなところもたくさん指摘してくれたんですが、そのコーチからファーストやれと。

僕、あまりスローイングが得意じゃなかったし、近い距離を投げるのも嫌だったんで、外野の方がよかった。ちょっと難色を示したんですが、お前が外野だとチームのためにならん。当時若手の柳田悠岐(やなぎた・ゆうき)とか中村晃(なかむら・あきら)とかも出てきた頃で。「お前がチームのためにファーストやれ」って言われて。

ま、そりゃそうだよなと思いましたし、鳥越さんから一番言われて印象に残っているのは、「お前絶対逃がさんけんな。いくら外野がいいと言っても逃がさんぞ」って言われたんです。大分弁で。世の中にはこの人から言われたらしょうがないなって人っているじゃないですか。僕は鳥越さんから言われたらしょうがないなと思いました。鳥越さんじゃなかったら逃げてたと思いますね。いやだと言ってやめてたと思います。


内川聖一さん

それでファーストやって最後にゴールデングラブ賞。NPB史上最も遅い、38歳での初受賞でした。これまでに打撃のタイトルも取らせてもらいましたし、MVPもいただき、もちろんうれしかったですが、ゴールデングラブ賞は一番うれしかったです。今、家にいろんな表彰楯とか飾っていますが、そのど真ん中にあります。

バッティングで杉村さん、守備で鳥越さんと、何度も言ってますけれど、人生の岐路に立った時に必ず助けてくださる人との出会いがあるんです。本当にありがたいと思っています。

(写真提供:大分B-リングス)(写真提供:大分B-リングス)

アジア各国と野球で交流してお互いに高めていければいい

――今度の大分B-リングスでの守備位置は。

基本的にはファーストかDHでの出場になると思います。どちらかというと打つ方で立ち位置を築いていきたい人間なので。打つ方を期待されていると思いますし、バッティングでいいもの見せたいなとは思っています。

――素晴らしいトップ・オブ・ザ・トップのご経験をもって、「ヤマエグループ 九州アジアリーグ」に挑戦ですよね。誕生してまだ3年というこの独立リーグについて、どのような感想をお持ちですか。

リーグの名前の中に「九州アジアリーグ」というのが入っているでしょう。これから、アジア各国と野球で交流してお互いに高めていければいいなという興味はありますね。

(写真提供:大分B-リングス)(写真提供:大分B-リングス)

また、NPBの福岡ソフトバンクホークスの3軍、4軍との交流戦があり、NPBの選手と対戦できるというのは、NPBを目指している若い選手にはいい刺激になると思います。僕からすると3軍のコーチとか監督とかには面識があるので、その方たちと会えるのも楽しみのひとつ。

九州アジアリーグの各チームだと、「北九州下関フェニックス」だと西岡剛(にしおか・つよし、元・阪神タイガース)さんが選手兼監督をしているし、熊本の「火の国サラマンダーズ」は馬原孝浩(まはら・たかひろ、元オリックス・バファローズ)さんが監督(GM補佐兼任)をしているとか。本当に同年代でしのぎを削った選手たちがたくさんいるので、そういう監督やコーチと対戦するのも楽しみですね。

――独立リーグでのシーズン中は、NPB時代とは生活のリズムも変わるでしょうね。

試合日程によって全く変わります。まず試合数が九州アジアリーグは少ないため、試合の都度、ピークを持っていくのが、もしかしたらNPBより難しいかもしれない。それに加えて九州での練習場所の確保とか、今までよりもやることがちょっと増えましたね。今までは当たり前に練習場所があり、試合球場があり、野球が生活の中心にあって、そこにそれ以外のことが加わる感じでした。今はいろいろな野球以外のことをやる中に野球が入ってくるという感じなので、そこはうまくバランスを取りながらやる必要があるなと思っています。

内川聖一さん

――野球以外にやりたいことをやる機会も増えてくるということですか。

それはもう。野球の解説もそうですし、小学校訪問させてもらったりとか、子ども向けの野球教室をやったりとか、子どもと触れ合う時間を作るなんてこともやりたい。自分自身が野球を勉強する時間もほしい。理論というのは現在どんどん進歩しています。変わっていく部分がたくさんあると思うので、知っておかないといけないな、という気持ちがあります。

――練習場や試合球場にもご自身の運転で移動されると伺いました。愛車の運転がお好きだともおっしゃっていましたが、ドライブ以外のご趣味は。

ゴルフが好きです。一般の方は休みというときちんと休むのでしょうけど、僕はゴルフをするのが「休み」。だからNPB時代のシーズンオフは、練習、練習、練習、ゴルフ、練習、練習、練習、ゴルフ、というふうに休みの日にはゴルフに行ってました。

僕ら野球選手は「休み」に本当に休んじゃうと逆に次の日きつかったりするんで、ある程度カートに乗らずに打って歩いて、なんてしながら。アクティブレストといいますか、血行を良くして次の日を迎えたいというのもありました。ゴルフって朝早く起きるじゃないですか。休みにゴロゴロ寝ていると半日過ぎちゃうなんてこともざらにあったんですが、それよりもゴルフしているほうが健康的だなとやっていました。

内川聖一さん

この歳になると温泉ってほっとするなあ

――大分のことを聞かせてください。県外の人にぜひおすすめしたいスポットとかありますか。

やっぱり温泉ですね。子どもの頃はありがたみが分からなかったけれど、この歳になると温泉ってほっとするなあと思いますね。おすすめするなら僕は別府温泉ですね。僕自身は別府に由布院、日田、それから天ヶ瀬(あまがせ)、ぬるいラムネ温泉で有名な長湯にも行きます。

――食べるものはいかがですか。山の幸、海の幸、大分は豊かですよね。

基本的に僕は肉が好きだったんで、豊後牛(ぶんごぎゅう)とかが好きでしたが、年齢が上がり最近になってあらためて関サバって脂がのっていて美味しいなとか。お寿司食べたいな、魚食べたいなというのが出てきました。とり天や鶏のからあげもいいですね。子どもの頃から当たり前にあったんで、「大分のからあげ」とか有名になって話題になっているのが不思議でしょうがない。それから団子汁(だんごじる)。昔から当たり前だったものが今さらフォーカスされるのが不思議です。前から美味しかったし(笑)。

――お酒は飲まれるんですか。

基本的には飲まなかったし、飲めなかったんです。これまでは先輩から誘われたりとかあったんですが、あまり得意なほうではなかった。次の日のことを考えると起きられなかったら困るし、とかストップをかける要素はたくさんありました。でもNPBの引退を機にお酒も始めようかな、と。次の日試合がない時とかは、そろそろお酒も飲もうかってことは考えています。今ようやく二十歳が来たって感じですかね(笑)。

野球が僕を離してくれなかった。そして人に支えられてきた

――この前テレビで相撲番組にゲスト出演されていましたが相撲がお好きなんですね。

相撲好きですねえ。僕ら野球選手って道具使うじゃないですか。バットとかグローブとか。直接ぶつかり合う、コンタクトはほぼないので、逆に相撲とかラグビーとか好きですね。コンタクトスポーツは自分の気持ちをストレートに表現できるスポーツだと思うんで。野球の場合はいかに道具を使うかという身体能力だったり、体以外の道具の力も使いますが、やっぱり体しか使うところが無いというスポーツは見て楽しいです。

――大分は名力士の宝庫ですよね。

はい。大分って言えば相撲界では双葉山さんですし、千代大海(ちよたいかい、現・九重親方)さんとか嘉風(よしかぜ、現・中村親方)さんとかを輩出していますね。双葉山さんは、大分出身のプロ野球選手の稲尾和久(いなお・かずひさ、元・西鉄ライオンズ)さんと交流があったそうです。稲尾さんは「神様仏様稲尾様」ですよね。それだけ突出した方がいるというのは、僕ら大分出身者からするとうれしさしかない。

内川聖一さん

――もしも今、10代に戻ったとしたら、また野球をやっていると思いますか。

う~ん、半々ですね。これだけ野球にいいものをいただいて、いい縁をいただいて、いい思いをさせてもらって、やりたくないというのは失礼だと思いますね。思いますけど、もし違うことで生きていけるのならそれもいいなと思います。

2000本安打打った時も言いましたけど、野球を一生懸命やってきた方々が、コツコツ積み上げて2000本まで行きついた、という話をよくされるんですが、僕の場合は何度となく野球を裏切りましたから。もうやってられるかって何回も思ったりして。いつやめようかな、きょうミスしたらやめよう、の繰り返し。気持ちの中で野球を裏切りながらも、結果的に毎日コツコツやっていたかもしれない。嫌々やっていた時期もあります。野球から目をそむけたことも正直に言えば何度もありました。

どちらかというと僕がどうこうというよりも野球が僕を離してくれなかったという感じです。やめるという選択肢を与えてくれなかった。横浜時代には、やめようと思った時に打撃コーチの杉村さんがいらっしゃって、首位打者を取らせてくれたとか。福岡時代には鳥越コーチに守備位置をコンバートしてもらいゴールデングラブ賞を取らせていただいたり。本当に、周囲の人に支えられてここまで来ることができたんです。

内川聖一さん
内川聖一(うちかわ・せいいち)

PROFILE

内川聖一(うちかわ・せいいち)

1982年生まれ。大分県出身。大分工業高校からドラフト1位指名で横浜ベイスターズ入団。2008年、セ・リーグ史上最高打率.378で首位打者獲得。2009年、WBC決勝の韓国戦で決勝のホームを踏むなど攻守にわたり活躍。2011年、福岡ソフトバンクホークス移籍の年に2回目の首位打者となり、チームは日本一達成。同年、MVPに選出。最多安打2回(08年、12年)、最高出塁率1回(08年)、2018年に2000本安打を達成し名球会入り。2019年にゴールデングラブ賞(1塁手)受賞。2021年、東京ヤクルトスワローズに移籍。チームは日本一達成。2022年10月3日の引退試合、現役最終打席で通算2186本目の安打となる二塁打を放ち、生涯打率3割2厘でNPBでの現役生活にピリオドを打った。同年、ツーリズム別府特別大使就任。2023年からプロ野球独立リーグの大分B-リングスに入団し、現役選手として活動。4月から「サンデースポーツ」(NHK)解説者も務める。

大分B-リングス
ヤマエグループ 九州アジアリーグに所属する球団。2020年9月設立。
球団社長は森慎一郎氏、GMは岡崎郁氏(元・読売ジャイアンツ コーチ)、監督は山下和彦氏(元・横浜DeNAベイスターズ コーチ)。球団名のBは豊後、ベースボール、リングスは県鳥のメジロの目の輪、仲間の輪、約束を表す。

ヤマエグループ 九州アジアリーグ
九州を活動地域とする日本のプロ野球独立リーグ。
2021年から公式戦を実施。2023年度のリーグ構成チームは、火の国サラマンダーズ(本拠地:熊本市)、北九州下関フェニックス(同:北九州市)、宮崎サンシャインズ(同:宮崎県)、大分B-リングス(同:大分市)。これにNPBの福岡ソフトバンクホークス3軍および4軍との交流戦が予定されている。2023年度は3月から70~80試合(HOME/VISITOR合計)を予定。