ごとう姫だるま工房の後藤明子さん(右)、後藤久美子さん

大分に暮らすということ 第29縁起物である姫だるまを作り続けられる、平和な世の中が続くことを祈っています

ごとう姫だるま工房後藤 明子、後藤 久美子

江戸時代から続く大分県竹田(たけた)市の伝統工芸品「姫だるま」は、家庭円満や子孫繁栄、商売繁盛の祈りが込められた縁起物。竹田市内の旅館や飲食店、スーパーなど、あちこちでそのふっくらしたかわいらしいお顔を目にします。戦時中、一度は途絶えた姫だるまの伝統を復活させ、「ごとう姫だるま工房」を始めたのは、後藤恒人(ごとう・つねと)さん。以来、竹田の姫だるまを作る唯一の工房として、後藤家の長男のお嫁さんが3代にわたってその伝統を守り続けています。「姫だるま」がつなぐ平和への想いと人の縁について、2代目の明子(めいこ)さん、3代目の久美子(くみこ)さんにお話を伺いました。
文:青柳直子 / 写真:三井公一

姫だるまは江戸時代に実在した下級武士の妻・綾女がモデル

――竹田市内のあちこちで目にする姫だるまですが、その歴史について教えてください。

久美子 姫だるまは旧岡藩の下級武士の妻、綾女(あやじょ)さんという方がモデルになっています。今から400年ぐらい前の実際にあったお話です。

ごとう姫だるま工房で作られている姫だるま

明子 ある年末、暮らし向きが厳しくて、妻の綾女さんが「もうこの家にはいられない」と家を出ていってしまったんでしょうね。しかし、故郷にも帰れず納屋で2晩過ごし、1月2日の朝。綾女さんが雪の中に倒れているのを旦那さんが見つけ出したんですよ。昔は2日が仕事始めでしたから。旦那さんは綾女さんを家に連れて帰り、お母さんと2人で介抱したら元気を取り戻したそうです。この出来事を通じて、家族が互いに支えあうことの大切さに気付き、家族みんなの気持ちが1つにならないと家はやっていけないね、という教えが生まれたと伝えられています。旦那さんはその後、出世したそうですよ。

ごとう姫だるま工房の後藤明子さん

久美子 倒れても家族の支えによって立ち上がる綾女さんの姿が、家庭が再び立ち直るという願いと重ね合わせられ、のちに“起き上がり”の象徴とされ、お正月の縁起物として姫だるまが作られるようになりました。元日の夜には青年団が「オキャガリ、オキャガリ」と言いながら練り歩き、各家庭に姫だるまをそっと「投げ込み」ます。この風習は昭和初期まで続いたそうです。「オキャガリ」は起き上がりの意味。姫だるまは倒れても自重で元に戻る起き上がりこぼしですからね。投げ込まれた家は仕事始めの1月2日の朝、「福が入った」と喜び、一家の長が神棚に祭ったそうです。「投げ込み」と言うと荒っぽく聞こえますが、実際にはそっと転がし入れていたそうですよ。

ごとう姫だるま工房の後藤久美子さんごとう姫だるま工房の後藤久美子さん

大火事と戦争で途絶えた姫だるまの伝統を初代が再興

――昭和初期まで、ということは一度途絶えてしまったのですね。それはなぜですか。

久美子 文献が残っているわけではないのですが、竹田の町の中で大火事があって、作っていたところもみな焼けてしまったそうです。そのうち、戦争が始まりますから、みな食べることで精いっぱいになって、すぐに再興しようとはならなかったんだと思います。そして1954年。昭和の大合併*1の時におじいちゃん(明子さんの義父=恒人さん)がね。*1 昭和の大合併:第2次世界大戦後、学校や消防、警察など新しい行政事務の能率的処理を目的として、「町村数を約3分の1に減少することを目途」に自治体合併が促進された政策。1954年、2町8村(竹田町、豊岡村、玉来町、松本村、入田村、嫗岳村、宮砥村、菅生村、宮城村、城原村)の合併により竹田市が誕生。2005年には「平成の大合併」で竹田市・荻町・久住町・直入町が新設合併し、現在の「竹田市」となった。

明子 そう、お義父さんが竹田の議員をしてたんですよ。それで「昔はこういうのがあったから、またやろうか」って。1つだけ、町の酒屋さんに残っていた姫だるまを見ながら再現しました。呼び名も「起き上がり様」や「福女」などいろいろ言われていましたが、1956年に「姫だるま」に統一しました。再興した当時、姫だるまを作るところは5、6軒ありましたけど、今も続いているのはうち1軒だけになりました。

久美子 「投げ込み」も復活して、一番忙しかった時には、もうお義母さん(明子さん)がおじいちゃんの姫だるま作りを手伝っていたんですよ。

明子 旧正月にやっていた1960年頃までが最盛期だったんじゃないかな。作るところも何軒かありましたし、「投げ込み」する人も別でいましたから。

竹田の伝統工芸品「姫だるま」。家庭円満や子孫繁栄、商売繁盛の祈りが込められた縁起物。顔を描き入れるのは明子さんの仕事だ竹田の伝統工芸品「姫だるま」。家庭円満や子孫繁栄、商売繁盛の祈りが込められた縁起物。顔を描き入れるのは明子さんの仕事だ

久美子 地区ごとの青年団とか消防団とか婦人会とかね。その土地のことをよく分かっている人が「投げ込み」の担当だったそうです。

明子 酒屋さんとか商売をしている人は、姫だるまに祝儀を包むんです。去年より大きいのが入っていたり、2つ入っていたりすると、「今年はようけ(たくさん)包んだんじゃないか」って言われたりね(笑)。

久美子 そうなんですよ、私も聞いてすごいなと思ったのは「投げ込み」には特に決まりがなくて、「今度あの家にはお嫁さんが来るらしい」とか「赤ちゃんが生まれるらしい」と聞くと、去年よりひとまわり大きな姫だるまを投げ込んだりしてね。その家の人が喜んだっていう話を聞くだけで、こちらまで温かい気持ちになります。それが「投げ込み」なんだと思います。

明子 お正月2日の朝に「投げ込み」があるのは分かっているから、みな扉を開けやすいようにしていましたね。

久美子 今では当時のようにはできませんが、商工会議所の青年部が「投げ込み」を引き継いでくれて、お正月2日の午前中に姫だるまを配ってくれています。

手伝いで始めた姫だるま作り。みんなが健康で、平和な時代だからいいものができる

――後藤家では、明子さん以後、長男のお嫁さんが3代にわたって姫だるまを作っているそうですが、みなさん、「姫だるまの伝統を受け継ぐ」という覚悟を持って嫁がれたのですか。

明子 元々は私の母と後藤家のお義父さんがいとこ同士なんです。親戚の寄り合いで見染められて、この家に嫁いできたのが19歳の時。息子が3人いたので、「どの人が旦那だろうか」って思いましたよ。そういう時代です。当時、姫だるまの顔描きはお義父さんが1人で、他の作業は近所の人に手伝ってもらいながら作っていました。お義父さんは次男に継がせるつもりでやらせてみたのですが、次男が2年ぐらいで音を上げてしまい、長男の嫁である私が手伝うようになったんです。私は、本当は「地球」の方が好きなんですけど。

ごとう姫だるま工房の後藤明子さん窓際の椅子が明子さんの作業スペース

久美子 「地球」っていうのは畑仕事のことです(笑)。お義母さんはアウトドア派ですからね。お義母さんも私も、この家に来て、まさかこんなことをするようになるなんて夢にも思わず。それが本音です。私は1982年に結婚するまで勤めていましたけど、出産して仕事に復帰というのはほとんどない時代でしたので、「もう職場には戻らんやろなあ、そのうちまた仕事に出るかなあ」という気持ちでした。ただ、お義母さんが姫だるまを作っているのを見ていて、少しでも手伝いになれば、くらいの気持ちで始めたんです。今、私の長男のお嫁さんの宗子(そうこ)ちゃんが、仕事が休みの日に「今日はできますよ」って手伝いに来てくれる、その彼女の気持ちはとてもよく分かります。

ごとう姫だるま工房の後藤久美子さん出産後、姫だるま作りの手伝いを始めた久美子さん

――姫だるま作りは後藤家の長男の嫁の宿命、というわけではないのですね。

久美子 全然、そんなことではないですよ。今は男女関係ない時代ですけど、お義母さんと私の場合は、ベースは夫が外で働いてくれて、妻は子どもを育て、家にいながらこの仕事をさせてもらっています。これだけで食べていけるようなものではないですし、逆に言うと縁起物は「あと何個売らないと生活できない」という心持ちではいいものにはならないな、と思っています。

こうして作り続けられるのは、家族が健康で、自分が健康だからできること。そして縁起物を求めてくれる平和な時代だからできることだなと、しみじみ思います。

ごとう姫だるま工房の後藤久美子さん出産後、姫だるま作りの手伝いを始めた久美子さん
久美子さんの長男のお嫁さん、宗子さんは仕事が休みの日に工房を手伝っている(写真提供:ごとう姫だるま工房)久美子さんの長男のお嫁さん、宗子さんは仕事が休みの日に工房を手伝っている(写真提供:ごとう姫だるま工房)

1つ完成させるのに、1週間から10日かかる丁寧な手仕事

――それでは姫だるまの制作工程と役割分担について教えてください。

久美子 うちはおじいちゃんから受け継いだ作り方なので、昔の作り方とは違うのかもしれませんが、まずは4号(高さ20cm)から8号(50cm)まである木型に新聞紙を何重にも貼っていきます。これは私の夫の照明(てるあき)さんと近所の方がやってくれています。

明子 一番下の新聞紙は水貼りなんですよ。水に浸してやわらかくした新聞紙を重ねていくんです。その上からは糊を使いますけど。水貼りなので、後ろをT字に切って割ると中からパッと木型が出てきます。木型を外したら中に小石を入れて、起き上がれるようにします。そして、一番上に手すき和紙を貼って整えます。

久美子 完全に乾いたら、膠(にかわ)*2を溶いたものに胡粉(ごふん)*3を混ぜて塗ります。すると、きれいな白になります。白が乾いたら、今度は赤を塗っていきます。色付けには膠に岩絵の具を混ぜたものを使います。絵の具はそのままだと固まってしまうので、火鉢の上で温めたお湯で湯煎して柔らかくして使いますが、夏場などはホットプレートを使っています。文明の利器ですね。*2 膠(にかわ):獣類の骨・皮・腱などを水で煮た液を乾かし、固めた物質。ゼラチンを主成分とし、透明または半透明で弾性に富み、主として物を接着させるのに用いられる。
*3 胡粉(ごふん):貝殻から作られる白色顔料。

  • 姫だるまの形を作る木型。4号から8号までのサイズがある
  • 木型に新聞紙を1枚水貼りし、その上から糊を使って何層にも重ねていく
  • 新聞紙を重ねた型が乾ききったら、胡粉を混ぜた白い下地を塗る
  • 鮮やかな赤の絵の具。ホットプレートで温めて溶かした絵の具で色付けをする

明子 白や赤を塗った後、昔は家の外にずらっと並べて干してましたけど、乾燥機を入れてからは、白なら1日、と決まった日数で乾くようになりました。

久美子 近頃の夏は本当に暑くて。3年前はまだ外に干してたんですけど、赤を塗った後はもう熱くて触れんかったよね。お義母さんが「世の中変わりよる」って。本当に地球が変わりよるなあと実感しました。で、私が白と赤を塗って、乾いたらいよいよお義母さんの出番です。墨(黒色)の部分はすべてお義母さんです。

明子 背中の宝珠(ほうじゅ)は厄除け、子孫繁栄を願って描きます。逆さにすると女性の子宮の形になるんですね。ちょっと描いてみましょうか。今は写真、撮ってもらっていいんですけど、顔を描く時だけは誰かに見られていると緊張しますから、撮らんでくださいね(笑)。1人で集中しないと表情が出ません。

明子さんが墨で描くのは、厄除けと子孫繁栄を願う宝珠。逆さにすると子宮の形になっている

久美子 目や眉を描く時のお義母さんは迷いないですよ。きっとお義母さんには真っ白なお顔の中に目や眉が見えてるんだと思います。1つ1つ表情が違いますからね。それも姫だるまの魅力かなって。

そして墨の部分が描けたら、口、体の松竹梅、頭のひし形を描いていきます。これらは私と、休みの日には宗子ちゃんが担当します。頭の金色のひし形は太陽を、松竹梅の松はお父さん、梅はお母さん、竹は子どもを表しています。松竹梅を描く時は「お母さんが健康でニコニコしていたら、家も子どもも立派に育つ」という気持ちを込めています。

体には、お父さん、お母さん、子どもを表す松竹梅が描かれる

だいたい1つ作るのに1週間から10日かかりますね。こうして3人で「かわいい、かわいい」と思いながら作った姫だるまをお客様にお渡しする時は、しっかり1つ1つお顔を見て、箱に入れます。本当にかわいい箱入り娘を嫁に出す気持ちですよ。

完成した姫だるま。松竹梅の描かれた赤い12単衣に身を包んでいる

姫だるまと竹田を愛する人たちがつなぐ縁

――1つ1つ思いを込め、手をかけ、丁寧に作られているのですね。

久美子 そうですね。初代のおじいちゃんから作り方も材料も受け継いでいます。ですが、だんだんと昔ながらの材料が手に入りにくくもなっています。20年くらい前に手すき和紙が手に入らないとなった時は、本当にどうしようかと思ったよね。

明子 新聞紙の上に貼る和紙は、手すき和紙じゃないとしわがなめらかになりません。手すき和紙は伸びる強さを持っているんですよ。機械で作った和紙だとプチッと切れちゃうんですね。

久美子 ちょうどその頃、娘が佐賀の大学に行っていて、「佐賀学」という授業に手すき和紙の職人さんが来られたって電話がかかってきたんですよ。それでお義母さんと娘と私の3人で、佐賀市大和町名尾にある「名尾手すき和紙」さんという工房に行かせてもらったんです。そしたらお義母さんが「作っているものもいいけど、親子3代で頑張っているから、ここがいいよ。もう他のとこは見にいかんでいいよ」って。それでそこの和紙を使わせてもらっています。なんかね、人の縁というか。困っていたらちゃんとおじいちゃんが空の上から見ていて、助けてくれるんだなと思いました。

――人の縁といえば、先ほどから来客が絶えませんね。毎日、このようにたくさんの来客対応をしながら作業されているのですか。

久美子 人が来ると手が止まると思うでしょ? 私も最初はそう思ったんですけど、乾かす時間もありますし、急いで作るものでもありませんから、来てくれた人とお話するのも大事な仕事のうちだと思っています。

ある時、隣の市から来たおじいさんが、1日中、座布団に座って仕事している私たちのことを「川の中に大きな石があってね、その石にいろんな石や魚が当たっていくうちに角を全部取って丸くしてくれるんだよ」と、素敵な例えをしてくれたんです。いろんな人と出会い、触れ合うことで、自分たちも少しずつ丸くなっていく――そういうことなんだと思います。その時、キラキラと光の差す川の中に、どかんと座っている石の絵が頭に浮かんできたんですよね。お名前もお聞きしていませんが、あの方には本当に感謝です。

姫だるまは4号から8号までの5サイズ展開。写真は、左から7号、4号、5号の3サイズ。手仕事ならではの表情が生まれ、1つ1つ少しずつ顔つきが異なる。頭の金のひし形は、家庭の中で女性(母)が太陽のように笑って過ごせますようにという願いが込められている(撮影協力:民芸の店 ぶんご)

――先ほど、バイカーが遠方から来られていましたが、人気バラエティ番組「水曜どうでしょう」*4に出演した反響はまだ続いているのですか。*4 「水曜どうでしょう」:俳優の大泉洋さんらTEAM NACSのメンバーなどが出演した北海道テレビ制作の人気バラエティー旅番組。2002年にレギュラー放送は終了したが、2025年現在も全国で関連イベントが開催されている。

久美子 あれはうちの長男の雅人(まさと)が高校生の頃だったから、ちょうど2000年ですね。なんかバイクに乗った怪しい人たちが来たと思ったんですよ。ディレクターさんはヒゲを生やして、なまはげのお面も持ってるし(笑)。

――群馬県の高崎だるまの「お嫁さん」として連れていくという、番組の企画でアポなしで来られたそうですね。

久美子 はい。高崎だるまの「嫁取り」の旅の中で、番組の演出としてうちの姫だるまと夫婦になってバイクの荷台に乗って新婚旅行に出かけました(笑)。放送後から番組のファンの方たちが全国から来られるようになって。時代の移り変わりで「これからどうしていこうか」という時期でしたから、「かさこ地蔵」が困っているところに助けに来てくれた、みたいな感じでしたね。若い人がバイクに乗ってきてくれるとこちらが元気をもらえますよね。

同じ2000年には、お義母さんが伝統的工芸品産業振興協会から長年の功績を認められ「伝統的工芸品産業功労賞」*5をいただきました。受賞式のため東京に2人で行って、なかなかの珍道中でしたけど、やっぱり困ったら人の縁で助けてくれるようになっているなと実感した年でもありました。*5 伝統的工芸品産業功労賞:一般財団法人伝統的工芸品産業振興協会が、伝統的技術の維持向上や後継者育成など、産地振興に長年貢献した個人を表彰する制度。

2000年、明子さんが長年の功績を認められ受賞した「伝統的工芸品産業功労賞」の賞状

――先ほど久美子さんのご長男のお名前が出ましたが、雅人さんは竹田市役所で移住促進のお仕事をされているそうですね。以前、「koji note」で取材させていただいた竹田市内で活躍されているアーティストのお三方、「紺屋(こうや)そめかひ」の辻岡快(つじおか・かい)さん、竹藝家の中臣一(なかとみ・はじめ)さん、吹きガラス工房「Magma Glass Studio」の井上愛仁(いのうえ・なるひと)さんは、雅人さんがお世話をされた他県からの移住組で、みなさん雅人さんの熱心なお仕事ぶりについてお話しされていました。

久美子 雅人が縁をつないでくれていますよね。みなさん他県から来られて、竹田のことを本当に好きになってくださって。井上さんのガラス工房にも全国からファンが来られますが、ついでにうちにも寄ってくださって「聖地巡礼」みたいになっています。

日本全国、世界中から来てくださった方たちがみな、姫だるまのことを「かわいい、かわいい」って言ってくれたり、竹田の景色が美しい、水がきれいだって言ってくれることが、本当にうれしいです。

ごとう姫だるま工房の周りに広がる、竹田の豊かな自然

――それでは最後に、ごとう姫だるま工房の今後について聞かせてください。

久美子 お義母さんが100歳になるまで、続けていくことです。

明子 もうすぐ90になりますからね。いつまでこき使われるんやろか(笑)。

久美子 お義母さん、90歳まであと2年だから、100歳まではあとたったの12年ですよ。すぐ年齢をサバ読むんですよ、しかも多く(笑)。とにかく自然体で、縁起物である姫だるまを作り続けることができる安泰な世の中であることを祈っています。

ごとう姫だるま工房
ごとう姫だるま工房 ごとう姫だるま工房 オフィシャルウェブサイト
https://goto-himedaruma.com/
公式Instagram
https://www.instagram.com/himedaruma_goto/

PROFILE

ごとう姫だるま工房

右:後藤明子(ごとう・めいこ)

ごとう姫だるま工房2代目。19歳で初代・恒人さんの長男・文人さんと結婚。21歳から姫だるま作りに携わり、その道67年。姫だるまの命である顔をはじめとする墨(黒色)の部分を担当。毎朝、アンパンマンのようにご近所を自転車でパトロールするのが日課。実は姫だるま作りより畑作業が好きなアウトドア派。毎晩「いいちこ20度」での晩酌を欠かさない。

左:後藤久美子(ごとう・くみこ)

ごとう姫だるま工房3代目。1982年に明子さんの長男・照明さんと結婚。照明さんとは高校の弓道部で知り合う。姫だるま作りでは、墨以外の塗りを担当。突然訪ねてくる来訪者にも笑顔で対応する心優しいお母さん。久美子さんの長男・雅人さんの妻である宗子さんも4代目として姫だるま作りに携わっている。