デザイナーの松岡勇樹さん

大分に暮らすということ 第26回段ボール製マネキンも大規模庭園型墓地プロジェクトも、根底にあるのは建築的思考です

プロダクトデザイナー/空間デザイナー/日本文理大学客員教授松岡 勇樹

人間や動物のフォルムを輪切りにしたような構造の段ボール製マネキンを開発したデザイナーの松岡勇樹(まつおか・ゆうき)さん。東京で就職した後、ご両親が暮らす生まれ故郷の大分県国東(くにさき)市に拠点を移しました。美術大学建築科出身の松岡さんならではの「建築的思考」はものづくりにとどまらず、時間や土地の活用法にも活かされています。独創的なアイデアを生み出す松岡さんのこれまでの歩みとライフワークについてお聞きしました。
文:青柳直子 / 写真:三井公一

中央大学経済学部を半年で辞め武蔵野美術大学建築学科へ

――松岡さんがプロダクトデザインや空間デザインを志したきっかけを教えてください。

私は安岐(あき)町(現在の国東市安岐町)で生まれたのですが、父親が転勤族だったので、子どもの頃は大分県と福岡県と熊本県を約2年ごとに回っているような生活でした。高校は福岡の進学校でしたので、美術の道を考えたこともなく、東京の中央大学経済学部に進学しました。

入学して初めて、「このまま大学に4年間通って就職すること」に疑問を感じるようになりました。中央大学がある多摩地区には多摩美術大学、武蔵野美術大学、東京造形大学などがあり、美術大学という選択肢があることを知ったんです。それで半年で大学を辞め、理転して武蔵野美術大学の建築学科に入学し、大学院まで行きました。建築学科を選んだ理由は、美術大学の中では学科の比重が大きく、実技が求められる油絵学科などに比べると入りやすいと思ったからです。美術大学には元自衛隊員や甲子園出場経験者など、さまざまな経歴の人がいたので、刺激的でとても面白かったです。

建築設計は、意匠(デザイン)、構造、設備という大きく3つの要素に分かれます。私はデザインは独学でいいと思ったのですが、構造は人から教わる必要があると考えました。卒業後は大学院時代の先生の構造設計事務所に入社しました。美術大学の建築学科のカリキュラムは理系大学の建築学科とほぼ同じなのですが、やはり美大なので卒業後はデザインに進む人が多く、構造に進んだのは私が創立以来2人目でした。

デザイナーの松岡勇樹さん

ニット作品の展示会のために段ボール製組み立て式マネキンを考案

――構造設計事務所勤務からプロダクトデザイナーとして独立されるまでにはどのような経緯があったのでしょうか。

もともとデザイン志向ではあったので、構造設計事務所に勤めながらプライベートで大学の研究室と一緒に作品を作ってコンペに出したりということは続けていました。

そんな中、ニットデザイナーの竹下洋子さんと知り合いました。彼女は東京藝術大学出身で、毛糸を使った作品を作っていました。1995年、竹下さんが初めての展示会を渋谷のギャラリーで開催するにあたり、安価で面白いマネキンを探したのですが、なかなかいいものがなく、だったら自分たちで作ろうということになりました。

――段ボール製組み立て式マネキン「d-torso(ディー・トルソー)」の誕生ですね。

はい。なぜ段ボール製なのか? とよく聞かれるのですが、単純に素材が安くて、どこでも入手でき、手で加工できる(カッターナイフで切り抜ける)からです。最初は段ボールを曲げたり多角形にしたりして、なるべく人間のボディーの曲線に近似させる方法から始めたのですが、いくら多角形を細かくしても、所詮、曲線表現はできないんですよね。そこで考え方を変えて、人間のフォルムをCTスキャンのように輪切りにして、断面にして組み立て直すという構造にしました。何かを組み立てるという構造や手法は建築の構造設計と同じです。

段ボール製組み立て式マネキン「d-torso」段ボール製組み立て式マネキン「d-torso」

展示会ではニットの評判が良かっただけでなく、マネキンも「新しいね」と注目されました。人からの勧めもあって特許を取り、1998年には「アキ工作社」を設立しました。元々、会社経営などするつもりはなかったのですが、そのまま埋もれさせるのはもったいないと思い、事業をスタートさせました。

物を作ったり考えたりするのは好きだし得意でもあるのですが、物を売ったりするのは一番苦手と言いますか。最初はいろんな会社に案内を出しても反応がなかったです。「頑張りましたね」という感じで500円分の図書券を返送してくれた会社が1社あっただけでした。

段ボール製組み立て式マネキン「d-torso」段ボール製組み立て式マネキン「d-torso」

東京から両親が暮らす国東に戻り会社を設立

――その後、段ボール製マネキンは松岡さんのお仕事の多くの部分を占めることになりますが、どのように事業を拡大したのでしょうか。

1998年に創業した際、会社の登記を両親が暮らす大分県東国東郡安岐町にしました。だから「アキ工作社」です。20年近く東京にいて刺激を感じなくなってきた頃でもありましたし、両親を看取ろうという気持ちもありました。東京より家賃は安いですし、空港が近いので、もし嫌になったらすぐ東京に戻れますしね(笑)。そんな複合的な理由でした。

創業後もしばらくは東京にいて、完全に大分に戻ってきたのは2001年です。国東には2歳までしかいなかったので、故郷に戻ってきたというより両親の元に来た、という感覚ですね。大分に戻ってきた2001年にd-torso「EVE」がグッドデザイン賞を受賞したことで、銀行などから融資を受けやすくなり、県内での注目度も上がったように思います。

段ボール製マネキンの製品群

マネキンはショーウインドーなどにディスプレイするものなので、そのうち、置かれているマネキンを見たお客様やお店の方から「同じような構造で犬や猫を作ってほしい」というリクエストが来るようになりました。人間も犬も猫も同じ哺乳類で脊椎動物なので、基本的な構造は同じなんですね。なので、当時飼っていた雑種犬のタマちゃんをモデルに作った犬形が人間以外の第1号です。

実は創業から約7年間は設計、製造、梱包、発送、営業まですべて1人でやっていたんですが、2004年、アトリエを設立し、スタッフを雇い始めました。翌年の2005年には大分県ビジネスプラングランプリ最優秀賞をいただき、その賞金で段ボールをカットするレーザー機を買い足すことができて、生産量が増えました。創業前はカッターナイフを使った完全手作業だったので、1体分切り出すと手がしびれるほどでした。あらゆる切断方法を試した結果、一番断面がキレイなレーザー機を導入することにしたんです。

デジタルで設計したデータをレーザー機に転送して切断するという造形手法を採っているので、段ボールの他に木材でもアクリル板でも同じように作ることができますし、金型がいらないというのも利点の一つです。さらにデータさえあれば拡大縮小が自由にできるので、大きなマネキンを作るデータでミニチュアのボディも作ることができるんです。試しに、毎年取引先にお配りするグッズとして、戌年から順番に1つずつ干支のミニチュアを作り始めたところ評判がよく、次第にミニチュアキットが主流商品になっていきました。

  • レーザー機による切り出しの様子。複数枚の段ボールをセットし、データを転送してレーザーで焼き切る
  • レーザー機による切り出しの様子。複数枚の段ボールをセットし、データを転送してレーザーで焼き切る
  • レーザー機による切り出しの様子。複数枚の段ボールをセットし、データを転送してレーザーで焼き切る
レーザー機による切り出しの様子。複数枚の段ボールをセットし、データを転送してレーザーで焼き切る

動物のほかにも、オファーをいただいて作り始めたディズニーシリーズ、ムーミンシリーズ、サンリオのハローキティなどのキャラクターも人気商品となりました。

ゴジラだけは私自身がやりたくて作り始めたところ、ちょうど映画「シン・ゴジラ」(2016年)が公開されることになり、タイミングがよかったですね。ゴジラの背中のごちゃごちゃした感じなどは、段ボールで表現しやすいんですよ。

週休3日制の「国東時間」が注目を集め、政策会議にも出席

――ミュージアムショップなどでよく目にするミニチュアキットはそのようにして生まれたのですね。2009年には国東市の中山間部にある廃校になった旧西武蔵小学校校舎にアトリエを移転されます。

2011年には、オランダのアーティスト、テオ・ヤンセンがやってきて、風力だけで動く「ストランドビースト*1」を校庭に設置するイベントを行って、たくさんの人がこの場所に集まりました。断面構造の「d-torso」とストランドビーストは、テオには仲間のように思われたみたいですね。*1 ストランドビースト:テオ・ヤンセン(Theo Jansen、1948年オランダ・スフェベニンゲン出身)が1990年から制作を続ける代表的な作品群。砂浜を意味する「Strand」と生命体を意味する「Beest」の2語をつなげた造語で、テオが作る「生物」の総称。プラスチックチューブやペットボトルなど身近な素材で構成され、風力によって歩行。骨組みだけの巨大な生き物のように見える。

  • 廃校を利用したアトリエ廃校を利用したアトリエ
  • 校舎のエントランスの壁に書かれたテオ・ヤンセンのサイン校舎のエントランスの壁に書かれたテオ・ヤンセンのサイン

校庭で友人の結婚式を行ったこともあります。小学校という場所に移転してから、地域とのつながりを意識するようになったと思います。

そして、「土地にはその土地固有の時間があるはずだ」という仮説のもと、2013年、「国東時間(くにさきじかん)」という概念を作り、アキ工作社に週休3日制を導入しました。金土日の休みの間に、釣りや山歩きや読書などを行い、国東固有の時間を体内に取り込むことがリフレッシュやスキルアップになり、その結果、事業効率を上げることができるという考えです。

週休3日制の国東時間は他の会社でも導入され、2014年には首相官邸で行われた政策会議「経済の好循環に向けた政労使会議(第3回)」でプレゼンテーションを行いました。同年、地域の方々と時間を共有するお祭り「時祭(ときのまつり)」も開催しました。地域住民同士のつながりを構築して、活力ある地域コミュニティーをつくるために行った、現代アートと国東の歴史文化を融合させた新しい形の盆踊り大会です。

段ボール製の「国東時間」ロゴ

国東に大規模庭園型墓地を建築するプロジェクトがライフワークに

――旧西武蔵小学校への移転をきっかけに、地域や時間をテーマにしたプロジェクトが始動していったのですね。

そうですね。時間を深掘りしていく中で、この場所に流れている時間は今生きている私たちだけのものではないと考えるようになりました。この地で亡くなった人、これからこの地に生まれてくる人、つまり「今いる人、もういない人、まだいない人」の三者にとって、「時間」は同時的に流れているのです。

そして始めたのが「時間の庭」プロジェクトです。これは、国東半島に国内最大規模の墓標なき庭園型墓地を建築する計画です。

先にお話ししたように、私は両親を看取りたいという思いもあって国東に戻ってきました。父親が建てたお墓にはいま祖父母、父母4人の骨壺が並んでいるのですが、私自身は「土に返りたい」と思ったんです。お墓というのは家制度の象徴でもあるので、死後も生前のしがらみに縛られることへの疑問や違和感もありました。

デザイナーの松岡勇樹さん

例えばブロックチェーン(取引の記録を暗号化して分散することでセキュリティー上の安全を確保しながら管理するコンピューターネットワーク技術)などを使って、多様な人々のつながりを作り、それを1つのコミュニティーとして活用します。「どこに埋葬されたいか」などの情報を共有して、生きている人が順番に世話をしていく。墓標は作らずGPSで埋葬場所を正確に表示する。スウェーデンで開発された、遺体をフリーズドライする方法など、環境負荷の少ない埋葬方法を模索する。などなど、さまざまなことを考えています。

このプロジェクトはお墓問題が差し迫っている人より、むしろ若い方々に響いているように感じます。実現にはクリアしないといけない課題が多々ありますが、ライフワークとして取り組んでいくつもりです。結局、このプロジェクトも、構造を考え、組み立てていくという建築的な思考によるものです。

三浦梅園の自然哲学思想も生み出した、国東という土壌

――松岡さんの建築的思考は一貫していますね。日本中の課題であるお墓問題に一石を投じる「時間の庭」プロジェクトを、六郷満山(ろくごうまんざん)*2信仰・神仏習合といった独特の信仰文化がある国東で行うことの意義を教えてください。*2 六郷満山:両子山(ふたごさん)を中心とする国東半島の谷筋の6つの郷(六郷)に散在する寺院群の総称。山岳信仰を母体としながら、宇佐神宮の神の生まれ変わりとされる仁聞菩薩(にんもんぼさつ)が、奈良時代に国東半島に28の寺院を開いたことにより、神道と仏教、山岳信仰が融合した、国東半島独特の神仏習合文化が花開いたと言われる。

国東には天台宗の寺院が多くありますが、お寺がたくさんあるからすごいのではなく、そもそも人を集める場の力があって、そこに天台宗が来たのではないかと思うんです。宇佐神宮のある宇佐も同じで、場の力があるから、大きな神社ができたのではないかと。

デザイナーの松岡勇樹さん

江戸時代の哲学者・三浦梅園(みうら・ばいえん)*3の生家が安岐町にあるのですが、三浦梅園という人は、生涯で3度しか国東の外に出ていないにもかかわらず、国東の等身大の自然と向き合って宇宙論を構築した、日本では珍しいタイプの学者です。こういう学者を生み出す土壌でもあるので、お墓を作るにはいい場所なのではないかと考えています。*3 三浦梅園:江戸時代の思想家。自然哲学を基盤とした独自の理論を展開した。全体と部分の関係性を示した「一即一一、一一即一(いちそくいちいち、いちいちそくいち)」を中心概念とし、自然界の摂理を説いた。

――地域との関わりということでは、日本文理大学工学部建築学科で客員教授も務めていらっしゃいます。

日本文理大学工学部建築学科の1年生を対象に「スペースデザイン」という講義を担当しています。三浦梅園の自然哲学思想と、オランダの美術家・画家のドゥースブルフやモンドリアンらによる芸術運動「デ・ステイル*4」の思想の両方を参照して立体芸術を作るという課題に取り組んでもらっています。特に三浦梅園の思想は難解すぎて、考えてもよく分からないのですが、それらを頭の片隅において、とにかく手を動かしながら作っていくと、ちゃんとそれらの思想が反映された優秀な作品になっているんです。18歳や19歳の若い学生と対話するのもとても楽しいですね。*4 デ・ステイル:1917~1931年にオランダで興った芸術運動。モンドリアンが提唱する「新造形主義」を中心思想とし、水平線と垂直線の幾何学的造形要素に、三原色と無彩色を配した抽象的な美術表現を展開した。絵画のみならず、建築などの立体造形にもその様式が反映された。

――最後に松岡さんの今後の活動について教えてください。

「時間の庭」プロジェクトにライフワークとして取り組んでいくのは先述の通りです。

段ボール製組み立て式マネキン「d-torso」は2018年にブランド名を「FLATS(フラッツ)」に改称し、2019年に設立されたFLATS合同会社が製造販売を担っています。設計とライセンス管理は今後、私1人で行っていく予定です。

松岡勇樹(まつおか・ゆうき)

PROFILE

松岡勇樹(まつおか・ゆうき)

1962年、大分県東国東郡安岐町(現・国東市安岐町)生まれ。1990年、武蔵野美術大学大学院建築学科修士課程を修了し、構造設計事務所T.I.S.&Partners入社。1995年、段ボール製組み立て式マネキン「d-torso」第1号を試作。特許を取得し、1998年アキ工作社を設立。2001年、d-torso「EVE」が2001グッドデザイン賞受賞、2005年第2回大分県ビジネスプラングランプリ最優秀賞受賞、2007年経済産業省「元気なモノ作り中小企業300 社」認定。
2009年、廃校になった国東市安岐町の旧西武蔵小学校校舎に本社を移転。2013年、週休3日の「国東時間」をスタートし、2014年、首相官邸で行われた政策会議に出席して同制度をプレゼン。2018年、社名を国東時間株式会社、ブランド名を「FLATS(フラッツ)」に改称。2019年、商品開発を行う国東時間株式会社と製造販売を行うFLATS合同会社に分割。2025年、国東時間株式会社解散。現在は、デザイナーとしてFLATSの設計、ライセンス管理を行う。日本文理大学工学部建築学科客員教授として「スペースデザイン」を担当。