登山家、野外学校「FOS」主宰の戸髙雅史さん

大分ゆかりのあの人 第21回ただ山を眺めていた子ども時代、大分での豊かな時間が育んだもの

登山家/野外学校「FOS」主宰戸髙雅史

ヒマラヤの8,000m峰にアルパインスタイル*1で挑んできた登山家の戸髙雅史(とだか・まさふみ)さん。現在は自然体験学校「Feel Our Soul(以下、FOS)」を主宰し、独自の哲学、「自然とひとの共振」を次世代へ伝えています。そんな戸髙さんの原点は、生まれ育った大分県佐伯(さいき)市の自然にあるといいます。世界の山々を巡ったからこそ分かる大分の自然の魅力、戸髙さんが大切にする人と自然の関係性について伺いました。
文:倉石綾子 / 写真:三井公一*1 アルパインスタイル:1人または少人数で装備を軽量化し、ベースキャンプ(登頂の拠点)から一気に頂上を目指す登山スタイル。

故郷は八本木山を見晴らす宇目。“余白”で得た自然の原体験

――戸髙さんは、大分県でどのような子ども時代を過ごしていましたか。

大分県の南端にある宇目町(うめまち、現在は佐伯市)という、山間にある小さな町で生まれました。子どものころは裏山に秘密の基地を作ったり、田んぼを駆け回ったり、道路で野球をしたり、昭和の時代らしい遊びに興じていました。そんな子ども時代、私の身近にあったのが八本木山(はっぽんぎさん、正式名は桑原山、くわばるやま)と呼ばれる山でした。標高はそれほど高くなく(1,408m)、山の存在感がやわらかく、おおらかといいますか、穏やかな山容です。地元の人はよく、「宇目は空が広いんじゃ」といいますが、確かにこの山には周囲を圧倒するような峻険さはありません。

登山家、野外学校「FOS」主宰の戸髙雅史さん

自宅の前には川があり、夕暮れ時になるとそれにかかる橋の上から茜色に染まる八本木山を眺めていたものでした。子どもの頃の話ですから、山に登るでもない、なんなら山の名前さえ知らなかった。ただそこに山があり、それを見つめる自分がいる。それが私にとって、「山と対話する」原体験だったのかもしれません。

当時を振り返ると、ただぼーっとするだけの時間を持てたことはとても豊かだったなと思います。現代人は忙しいですから、子どもでさえも習い事や予定に追われ、何もしない時間を持てなくなっています。大分の子ども時代には、素朴な自然や暮らし、何もしない“余白”のような豊かな時間がありました。

――そうした子どもの頃の体験が、その後の戸髙さんの活動に影響を与えたのでしょうか。

そうですね。私の父の家系は、代々宇目の山間部で山仕事をしてきましたので、そもそも里山の自然には親しみがありました。そして子ども時代にピュアに自然と向き合い、それを感じる体験ができたことは大きかったと思います。だからといってその時に登山家になろうと思ったわけではありませんが。

大分から福岡へ。青年時代に登山と出合う

登山家としての原点は、大学時代の探検部の活動です。高校時代は友人と組んでいたフォークバンドの活動に熱中していましたから、アウトドア志向はありませんでした。高校卒業後、教職を志して進学した福岡教育大学で下宿先の先輩に誘われ、探検部に入部したんです。

探検部の活動は洞窟潜りが主でした。福岡には日本三大カルスト*2のひとつに数えられる平尾台があり、無数の鍾乳洞(しょうにゅうどう)が点在しています。人1人がようやく抜けられるくらいのサイズの穴を泥だらけになって這い進むと、突然、真っ白な鍾乳石で形成された、地下神殿のような場所が現れる……。そんな、子どもの遊びのような活動にわくわくすると同時に、中学・高校時代に自分の意識の中に作られてしまった枠のようなものが取り払われる感覚を覚えました。この枠が外れたことで、「自分は何でもできる、人生にはいろいろな可能性がある」、そう感じられるようになったのです。*2 日本三大カルスト:カルストは、水に溶けやすい石灰岩などの岩石が、雨水や地下水による溶食を受けてできた凸凹の地形、鍾乳洞のこと。日本三大カルストは、平尾台(福岡県)、秋吉台(山口県)、四国カルスト(愛媛県・高知県)の3地域。

登山家、野外学校「FOS」主宰の戸髙雅史さん

――登山に惹かれたきっかけは何だったのでしょうか。

その頃に出合ったのが、新田次郎(にった・じろう)*3の小説「孤高の人」でした。単独行で知られる登山家・加藤文太郎(かとう・ぶんたろう)*4さんの生涯を描いた作品に、なにか運命的なものを感じたんです。加藤さんは、大人数・重装備での登山が主流だった時代に、日本で単独・ミニマルな装備での山行スタイルを確立した登山家で、ミニマルかつ身軽だからこそ可能な、山との純粋な対話を追求していました。特に、猛吹雪の中、ダケカンバの木の根元に穴を掘り、幹と自分をロープで結んで生きながらえようとするシーンが強烈で、「この世界に行きたい! ここに行けば何かが見つかるかもしれない」と引き込まれました。

登山家、野外学校「FOS」主宰の戸髙雅史さん

そこで、その直後の春休みに部の先輩と2人、福岡から大分の山を縦走しました。その年の夏、部活動の一環として初めての北アルプス山行へ。槍ヶ岳、穂高連峰、蝶ヶ岳、西穂高岳……。槍ヶ岳山頂の端の小さな岩に記された、「北鎌へ」という文字に感動したことを覚えています。歩きながら「雪山に行きたい、クライミングもやりたい」と、私の夢はどんどん膨らんでいきました。山を通して私の世界は無限に広がっていったのです。*3 新田次郎:日本の小説家、気象学者。中央気象台(現・気象庁)勤務の傍ら執筆。山を舞台に自然対人間をテーマとする山岳小説の分野を開拓した。代表作に「孤高の人」(1969年)、「八甲田山死の彷徨」(1971年)など。
*4 加藤文太郎:単独行で知られる登山家。厳冬期の槍ヶ岳・北鎌尾根(北アルプス南部の槍ヶ岳から伸びる尾根で、上級者向けの険しいルート)で遭難死した。

――その後のヒマラヤ山行の原点となったのは、探検部で出かけた北アルプスだったんですね。

探検部の活動とは別に、ヒマラヤ遠征を計画していた社会人山岳会にも入会しました。ヒマラヤを見据えて翌年の厳冬期の北鎌尾根に入ったのですが、猛吹雪のなかで両手指が凍傷になりまして。幸い、指を落とさずに済みましたが、心は打ちのめされました。ただ、そのギリギリの状態のなかで自分の感覚がどんどん研ぎ澄まされていき、世界には自然と、それに向き合っている自分しかいない、そんな感覚を覚えました。いわゆる「ゾーン」に入っていたのだと思います。その後、ヒマラヤを単独で登るようになりましたが、8,000m峰にただ1人でビバーク(緊急時の野営)している時など、この感覚こそが自分のアンカーになりました。

――極限という状況で戸髙さんにとって一番の支えは何だったのでしょうか。

デスゾーンと呼ばれる8,000mの山のなかでギリギリの状態に陥った時に認識するのは、結局、私が山に行くのは、頂上に立つことや記録に名前を残すことが目的ではないということです。「孤高の人」を読んで、「ここに行きたい」と胸に刻んだ純粋な思い。ここに行った時、私の目に何が見え、何を感じるのか知りたいという子どものような好奇心。そこからもたらされる体験は一人一人異なりますが、それが「一人一人の山がある」ということだと感じています。

パキスタン・ブロードピーク中央峰(8,011m)を無酸素で登る戸髙さん(写真提供:戸髙雅史)

大切なのは、「いま」この瞬間。次世代へのメッセージ

――戸髙さんは16年間にわたり、ヒマラヤを中心とした海外の高峰にアルパインスタイルで挑戦し続けてこられました。世界最高峰のチョモランマ(エベレスト 8,848m)をはじめ、チョモランマよりも難しいといわれるK2(8,611m)単独登頂のほか、8,000m峰4座に無酸素で登頂されています。登山家として極限の世界を経験されてきた戸髙さんが野外体験学校に情熱を注ぐようになった理由は何だったのでしょう。

大学に進学した時は、漠然と高校の数学教師になりたいと考えていました。ところが探検部の活動をきっかけに、ピュアな自然体験とそれがもたらすものを次世代に伝えていきたいと考えるようになったんです。後年、デナリ(6,190m 北米大陸最高峰)を登った後にアラスカにある冒険学校で現地の高校生と活動しまして、大きな手応えを感じました。人と自然の一期一会から生まれる悦びや共感を伝える場こそ、自分がしっくりくる場所だと実感したのです。

冒険学校で15日間のカヌーコースをともにした仲間たちと(写真提供:戸髙雅史)

昨年までは故郷・宇目にも拠点を置いていましたが、現在は山梨県の富士山麓と神奈川県の葉山をメイン拠点に野外学校「FOS」を主宰しており、小学生から高校生までの子どもたち、ユースやファミリー層、大人に向けた野外体験コンテンツ――いのちの源泉に出合えるような体験――を提供しています。

こうした体験の場で子どもたちに発信しているのは、「過去でも未来でもない“いま”を大切に」というメッセージです。ヒマラヤの山中で生死の狭間のような極限を体験したことで、“いま”に向き合うことこそが生きることだという気づきを得ることができました。ですから、刻々と“いま”にあること、そしてその無限の可能性を体感してほしいという気持ちを抱いてさまざまなコンテンツを企画しています。なぜなら、極限の瞬間だけでなく、一瞬一瞬変化する風や光、水の流れは、私たちを“いま”へと誘ってくれますから。

夏に実施された子どもを対象にした野外体験コースの様子(写真提供:戸髙雅史)

何かに触れた時、脳がそれを感知して言葉として発するまでに0.5秒ほどのタイムラグが生じるといいます。私が言う“いま”とは、言葉が生まれる前の瞬間です。言葉として認識しようとすると、ものごとに触れた瞬間は過去になってしまいます。ですから自然のなかで心を揺らす“なにか”に触れたら、ただそれを味わってほしい、体感してほしいのです。

昨秋、山中湖畔で行った子ども向けのキャンプ体験コンテンツで、キャンプファイヤーの周りで子どもたちが夢中になってジャンベ(西アフリカ発祥の打楽器)を叩く光景が印象的でした。“いま”に没頭してジャンベを叩くその瞬間には、言葉も時間の流れもありません。“いま”から離れず、そこに身体や意識を委ねて同調している子どもたちの姿に、ただ心を動かされたことを覚えています。

2021年夏のFOSユースプログラムにて。北アルプス・蝶ヶ岳を目指して長塀尾根を登る早朝、樹間から差し込んだ光に足を止め、皆がしばしその光景に見入った(写真提供:戸髙雅史)

――ジャンベを叩きながらゾーンに入っていたんですね。私たちが生まれ持つ生命力が自然に表れているようなエピソードですが、こうした野外体験が子どもたちにどんな影響を与えると感じますか。

「FOS」の初年度に参加してくれた子どもたちも、今ではもう20代後半になっています。子どもたちそれぞれに個性がありますので一概には言えませんが、幼少期に自然と触れ合い、何かを得たという経験があることで、迷ったり悩んだりした時に自分が還る場所を自然のなかに見出してくれているように思います。社会に揉まれて悩み、葛藤するうえで、自分の居場所が確かにあると分かっていることは大きいですよね。安心感につながるはずです。

世界の山々を巡ったからこそ分かる、大分の自然の奥深さ

――世界各地の自然を体験してきた戸髙さんにとって、大分の魅力とは何でしょうか。お気に入りの場所や風景、大分らしいと感じる瞬間があったら教えてください。

大分でよく耳にする「ぼちぼち」という言葉があります。私たちは現在も宇目の水田を借りて米作りを行っていますが、田植えや収穫の体験に来た学生たちは農作業を一生懸命にやりすぎてしまうんですね。そんな時、地元の方は「ぼちぼちでいいんでー」と声をかけてくれます。「ぼちぼち」はつまり「ゆっくり」という意味ですが、「ぼちぼち」が表すものに大分らしさを感じます。

戸髙さんの妻・優美(ゆうみ)さんは、FOSのスタッフとして、宇目での田植えや収穫のワークショップも共に運営している
戸髙さん夫妻が手に持つのは、宇目での田植え・収穫の様子を記録した冊子。優実さんがその年の写真を1冊にまとめ、地元の人たちに届けている

そんな「ぼちぼち」が表す大分の風土性を体現する山が、くじゅう連山だと思います。九州本土最高峰の中岳(1,791m)をはじめとする1,700m級の山々が、玖珠(くす)郡九重(ここのえ)町から竹田(たけた)市にかけて連なっています。度重なる噴火と火砕流の堆積により形成された山々ですが、実は森も素晴らしいんですよ。豊かな森、湿原、穏やかな高原……変化に富んだ風景を楽しめるうえ、中岳は九州本土最高峰ではありますが、子どもでもハイキング感覚での山歩きが可能です。

――お話を伺うほどに、大分の自然の奥深さが伝わってきます。

私の原風景としてご紹介した八本木山のつながりでの好きな場所というと、「祖母(そぼ)・傾(かたむき)・大崩(おおくえ)ユネスコエコパーク*5」に指定されている祖母山(1,756m)、傾山(1,605m)、大崩山(1,644m)ですね。こちらの山容は一見すると穏やかでやさしいですが、一歩、山のなかに分け入るとその森は深く、険しい箇所も出てきます。とても魅力的な山域なので、3日間かけてこの山域の原生林や谷を歩くツアーも実施しています。*5 ユネスコエコパーク(生物圏保存地域):生態系の保全と持続可能な利活用の調和を目的として、1976年にユネスコが開始した事業で、登録総数は136カ国の759地域にわたる(うち日本国内は10地域)。※2026年1月時点

難しいと思うのは、「登山」という文化で山々を捉えると山と純粋に向き合えなくなることですね。だって、登山の対象として山を捉えると、リスクマネジメントとして山にまつわる情報を事前に集めなくてはならないですよね? 気象や自然環境への備えは必要だと思う一方で、情報が頭に入っている分、実際に山に入った時の感じ方がピュアではなくなるとも思っています。私自身、世界の山々に触れてきたことで、経験の蓄積により身についたフィルターを通して山を見るようになってしまいました。そう考えると、ただ八本木山を眺めていた子ども時代のほうが、ピュアに自然と向き合っていたように感じます。

登山家、野外学校「FOS」主宰の戸髙雅史さん

山を登ろうと考えると登山という枠に縛られてしまいますが、ときにはただ山の中に分け入り、歩き、何かを感じる瞬間があってもいいと思っています。そこに情報はいりません。山という素朴な存在に出合って、予期せぬ新しい物語が始まる――1人でも多くの方に、そんなピュアな体験をしていただきたいなと思っています。

戸髙雅史(とだか・まさふみ)

PROFILE

戸髙雅史(とだか・まさふみ)

1961年、大分県宇目町(現・佐伯市)生まれ。野外学校Feel Our Soul代表。福岡教育大学卒業。20代でヒマラヤの8,000m峰にアルパインスタイルで挑み始め、ナンガパルバート(8,125m)、ブロードピーク(8,051m)は無酸素で、K2(8,611m)は単独・無酸素で登頂を果たす。チョモランマ北西壁はアルパインスタイルで8,500m地点まで到達。1990年代終盤以降は活動のフィールドを日本に移し、「自然とひとの共振」をテーマにさまざまな自然体験ツアーや野外学校カリキュラムを企画している。著書に「A LINE」(共著、ソニー企業株式会社)、「はじめよう 親子登山」(山と渓谷社)、「生命力-呼吸がつなぐ『こころ』と『からだ』」(春秋社)。