対談:三和酒類相談役 和田久継×技師 丸尾剛
三和酒類本社の敷地内には、通称「焼酎道場」と呼ばれる木造の建物があります。正式名称は「壱號蔵(いちごうぐら)」。この建物は、かつて日本酒の蔵元としてスタートした三和酒類が初めて焼酎をつくった蔵の一部を移築したものです。そんな「壱號蔵」を舞台に、2019年から始まったのが、社員が焼酎づくりを体験できる研修プログラム「壱號蔵焼酎道場」。麹づくりから蒸留、瓶詰めまでの工程を3週間かけて手づくりで体験します。今回はこの焼酎道場「壱號蔵」について、発案者の和田久継(わだ・ひさつぐ)と、研修を仕切る丸尾剛(まるお・つよし)が語ります。 後編「壱號蔵でつくったこだわりの本格麦焼酎『重露涓滴(ちょうろけんてき)』」 文:鈴木昭 / 写真:三井公一
―――「壱號蔵」の建設とその狙いから教えてください。
和田 発端は私が言い出したことでした。8年前かな、私が社長を退き会長となった年(2017年)のことです。前々から社員が焼酎づくりを学べる“焼酎道場”をつくりたいなあ、という想いがありました。
工場の設備というのは規模が大きいですからね。オートメーション化も進んでいますし。大麦を洗ったり蒸したりといった、実際に自らの手を動かして焼酎づくりを経験する機会というのは、社員であってもなかなかないものです。そういう焼酎づくりを体験できる施設をつくりたかったんです。
その構想を丸尾さんに話して、研修のプログラムをつくってもらってね。どこでやろうかと施設を探していて、見つけたのが「第一号倉庫」でした。この施設は、三和酒類が「いいちこ」の製造を始めた由緒ある建物でして、もともとは宇佐市内の三和酒類第2工場にあった「壱號蔵倉庫」の部材の一部を、1988(昭和63)年に現在の本社敷地内に移築して「第一号倉庫」と命名。その頃は甕(かめ)などの貯蔵倉庫になっていて、社員にもほとんど知られていない存在でした。それを2019(平成31)年に焼酎づくりの社内研修をスタートする際に「壱號蔵」と名付けました。
この倉庫は1958(昭和33)年9月、三和酒類株式会社が、清酒共同びん詰め場として宇佐市大字山本の和田酒造場に創立されたとき最初に建設された清酒貯蔵庫です。1972(昭和47)年10月以降は、当社宇佐第二工場の一部として、焼酎乙類の製造用に1978(昭和53)年より1983(昭和58)年11月まで麦焼酎“いいちこ”の製造に使用されました。
1988(昭和63)年12月に第二工場が当地に移築されるにあたり、この倉を当敷地に移転、第一号倉庫と名付けて三和酒類の創業を偲び、“初心不可忘”の記念の建物とします。
1989(昭和64)年1月5日 三和酒類株式会社
丸尾 「壱號蔵」には麹づくりをする麹室(こうじむろ)を設けて、仕込みタンクや蒸留機を設置して、一通りの焼酎製造を行える施設を整えました。規模的には本社内にあるメインの製造場の仕込み規模が28t(28,000kg)に対して、「壱號蔵」の仕込み規模は150kgと極めて小さな規模のマイクロ施設です。ちなみに、1999年に製造現場に新しい技術を取り込もうという狙いで、研究施設として設立した「酒の杜21世紀工房(現・酒の杜21製造場)」の仕込み規模は1.5t(1,500kg)です。
準備が整い、「壱號蔵」で実際に研修が始まったのは2019年2月のことです。社員と役員を対象に参加希望者を募りました。コロナ禍には休止しましたが、6年続いています。1回の研修では4~6人を1チームとして、3週間にわたり、麹づくりから仕込み、蒸留、瓶詰め、ラベル貼りまでの工程を体験してもらいます。
受講者数は2025年7月末時点で合計313名。三和酒類の従業者と役員の人数は381人ですから、かなりの受講率になりますね。
――受講者からの評判はいかがですか。
丸尾 研修を始めた頃は、みなさん来てくれるのかなって多少心配でした。希望者の手挙げ式だったものですからね。でも、研修を終えた人が、職場に戻って「いい、いい」と言ってくれましてね。それを聞いた人も、「ほんじゃ私も行く、私も行く」と言ってくれるようになりました。クチコミで広まりましたね。一時期は定員オーバーになったため募集をストップしたこともあったほどです。
――「壱號蔵」の研修スケジュールを教えてください。
丸尾 1日目は麦洗いから麹づくりが始まります。3日目に出来上がった大麦麹を出麹(でこうじ)します。この大麦麹と仕込み水をタンクに仕込みます(一次仕込み)。7日目に二次仕込みを行います。3週目、17日目に蒸留を行い、18日目の午前中にろ過をして、午後に瓶への充てん作業となります。あとはラベルを貼って、実習終了。その後、仕上がった焼酎は3年間貯蔵してから受講者に渡します。
本格麦焼酎の製造工程
――実習だけでなく座学の講義もあると聞きました。
丸尾 三和酒類の会社の歩みや、酒づくりの基礎となる麹や発酵について、相談役の和田が講義をします。また、酒税法に詳しい社員による講義もあります。酒税法の計算などはパソコンを使えばさっとできますが、そこをあえて手書きの「帳面」をつけてもらい、その考え方のベースにあるものを覚えてもらいます。お酒づくりの原則を身に付けてもらうための講義です。
研修プログラムは実習のほか焼酎づくりの基礎や会社の歩みなどの座学も催される
――社内のどの部署の人でも参加できるのですね。
丸尾 そうです。ただし、利き酒の工程もあるので、20歳以上に限ります。例えば高校を卒業して入社した社員は、3年目から参加できます。
和田 20歳になって、晴れてお酒を飲むことができるようになった社員が参加できるというわけです。
丸尾 蒸留した焼酎の温度を冷やしていくと、油分が浮いてきます。それを取り除くのが、「ろ過」という作業なんですね。ろ過温度で酒質がまた変わってくるので、みんなで自分たちの原酒と、これまでに研修でつくられてきた焼酎などと飲み比べしながら、ろ過温度を決める話し合いを2時間ほどします。
――ろ過温度は酒質にどんな影響を与えるのですか。
和田 ろ過温度というのはね、低くすると酒質はきれいになるけれど、味わいが薄くなる。味を濃くするには温度を高くする。それをチーム内で話し合って決めてもらう。これが0度でろ過したものだとか、これは何度でろ過したものだとか、飲み比べしながら決めるんです。
この焼酎道場の研修のいいところは、一緒に作業する受講者同士で、どんなお酒をつくっていきたいかということを議論するところです。そもそもその前の段階では麦洗いから始まるでしょう。きれいな酒をつくりたい、すっきりとした酒をつくりたいといったら、それぞれの工程でみんなは一生懸命やるわけですよ。
味のあるのがいいのか、途中でなかなか意見が合わないこともあるかもしれませんね(笑)。君の時はどうやったかな。
(本取材の同席者) 私の時はベテラン社員が多くて、とても癖のあるお酒をつくりました。
丸尾 メンバーが癖のありそうな人たちでしたね(笑)。
和田 そんなメンバーとのやりとりがまた楽しいんですよね(笑)。
丸尾 蒸留する日の朝には、まずみんなで集まって利き酒をします。そこで、どこで蒸留をカットするか(終えるか)を決めるんです。度数を上げようとカットのタイミングを遅らせると、味の成分が残りやすくなりますし、早めにカットすればスッキリした仕上がりになります。そのあたりを、みんなでワイワイ言いながら決めていくんですよ。
和田 温度やアルコール度数などのパラメーター(変数)の組み合わせで、酒質を決めていくんですね。そのあと3年貯蔵するので、それも見込んで「ちょっと味を残しておいた方がいいかな」とか考える。そういったことをみなさん楽しくやっていますよ。そのあと、オリジナルラベルをつくるのも楽しいですね。
「壱號蔵」で講師を務める丸尾
酒づくりには不思議なロマンがあります。丸い麦を洗って、麹をつくり発酵させていって、最終的に透明な液体が生まれてくるんですからね。私なんかそれが当たり前だと思っているけれど、ふつうは不思議に感じるでしょうね。そんな私でも、蒸留機から最初に出てくるアルコール度数の高い「初垂れ(はなたれ)」を見ると心が躍りますね。
丸尾 「初垂れ」とは蒸留の一番初めに出てくる部分のことです。アルコール度数70度くらいあるんですよ。
和田 そういうお酒をつくる楽しさと言うんかね。酒づくりを楽しむと言うんかね。そういうことはつくり手にとって大事ですよね。それがまたお客様に伝わりますし。
この焼酎道場は6年になりますが、始めて良かったなと思いますね。いつかは社外の方にも参加していただき焼酎づくり体験をしてもらって、焼酎というお酒の楽しさを広めていきたいです。自分でこういう酒をつくりたいと設計してね、それが形になるというのは楽しいと思いますよ。
――研修を率いてこられた丸尾さんが、受講者とのやりとりで印象に残っていることはありますか。
丸尾 プログラムが終わったあとに常に発見があるんですよ。ベテランとか言われる我々であっても、本当に毎回毎回、発見があります。
麹づくりの過程で、仲仕事(なかしごと)とか、仕舞(しまい)仕事*とか言いますけれど、蒸した大麦に手を入れるところがあります。そこにかける時間をもう少し延ばした方がいいとかね。そういうことって、ずっと蔵で働いている者には意外に分からないものなんです。「それもありやな」とかね。それを採用したらうまくいったりしたこととかね。そんな発見が多々あります。* 仲仕事・仕舞仕事:どちらも麹の品温を調節し、余分な水分をとばすために蒸した麦や米などの原料を作業台に広げて表面積を広げる作業。仲仕事は麹の温度が上がり始めた頃に行い、仕舞仕事は仲仕事の後、さらに温度が上昇した麹を混ぜて温度を均一にする。
年 | 月 | 出来事 |
---|---|---|
1958(昭和33) | 9月 | 三和酒類株式会社設立(旧本社:大分県宇佐郡駅川町大字山本1629番地) |
1959(昭和34) | 8月 | 日本酒貯蔵庫「壱號倉庫」建造 |
1972(昭和47) | 10月 | 「壱號倉庫」を三和酒類の宇佐第2工場の一部として使用開始 |
1978(昭和53) | 壱號倉庫内で「いいちこ」の製造を開始(1983年11月まで) | |
1979(昭和54) | 2月 | 「いいちこ」発売 |
1983(昭和58) | 11月 | 「いいちこ」の製造を山本(現本社:宇佐市大字山本2231番地1)の新工場に移す |
1988(昭和63) | 12月 | 「壱號倉庫」を山本工場敷地内に移築し、「第一号倉庫」と命名 |
2019(平成31) | 2月 | 「壱號蔵」に改称して、焼酎づくりの社内研修をスタート |
PROFILE
和田久継(わだ・ひさつぐ)
三和酒類株式会社 相談役
1953(昭和28)年、大分県宇佐市生まれ。1976(昭和51)年3月、高知大学農学部卒業後、三和酒類株式会社入社。主に製造畑を歩み、役員として製造担当などを歴任。2009(平成21)年、代表取締役社長、2017(平成29)年、代表取締役会長に就任。専門分野は醸造技術(本格焼酎、日本酒、果実酒等)、製造用プラント設計。2023(令和5)年、相談役に就任。一般社団法人宇佐市観光協会会長(現職)、公益社団法人ツーリズムおおいた会長(現職)など地元活性化にも取り組んでいる。山歩きや野鳥観察などを好むアウトドア派。
PROFILE
丸尾剛(まるお・つよし)
三和酒類株式会社 SCM本部 技師
1965(昭和40)年、大分県宇佐市生まれ。1984(昭和59)年の入社以来、一貫して焼酎づくりに取り組む蔵人。2012(平成24)年8月から5年3カ月の間、いいちこ日田蒸留所の所長を務め、「いいちこ日田全麹」のリニューアルに携わる。現在も現場に立ちつつ後進の指導を行う。趣味はゴルフ。家で塩麹、醤油麹を自作するほどの麹愛の持ち主。また「“酒場メシ”ハンター」の異名を持ち、「いいちこ」をもっと楽しんでいただくための情報サイト「iichikoスタイル」では「いいちこ丸尾の“酒場メシ”いただきます!」の連載を担当。